パンパンっと、まだ明るい空に白い花火が上がる。
 祭りの合図だ。

「やっば・・・」

 それを見て、リナは小さく呟くと、慌てて歩くスピードを速めた。
 リナと同じく、祭りに向かうであろう人々を、一人、二人と追い抜いて行く。
 真っ赤な提灯の飾られた、神社の鳥居。
 その奥に吸い込まれていく人ごみから、少し離れるようにして、立ち尽くしている三つの人影。

「ごめん、遅くなった!」

 リナが声を上げると、三つの影は彼女の方を向いた。
 文句を言うため、真っ先に口を開いた小さな影が、リナの姿を捉えると、そのままぽかんと目を丸くする。

「なんだリナ、浴衣着てきたんじゃない!」

 弾む声で、嬉しそうに言ったのは、アメリアだ。
 なんとなく気恥ずかしくて、リナは視線を逸らした。
 浴衣なんて着てこないわよ! と、頑なに言っていた手前、どことなくバツが悪い。
 いつの間にか、側に来ていたアメリアは、するりとリナの腕に自分の腕を絡ませた。

「これでお揃いね!」

 見上げてくるアメリアは、少しお化粧もしているのだろう、どこか大人っぽくて、自分が男だったら一発で落ちるだろうなと、そんなことを考える。
 白を基調とした上に、濃紺の梅がいたるところに散りばめられていて、アメリアにとても似合っていた。

「バカなことやってるんじゃないわよ」

 アメリアの腕を引き離し、ふとリナは、残りの二つの人影と、目が合う。
 どちらも、珍しいリナの装いに、目をきょとんと瞬かせていた。

「・・・・・・なによ」

 照れくさくて、殊更人相悪く問いかける。

「いや・・・」

 片方は、言葉短くそう言うと、ふいっとリナから視線を逸らした。

「あっ、ゼルガディスさん、今リナのこと、可愛いって思いましたね?」
「思っとらん!」

 茶化すアメリアに、力一杯否定するゼルガディス。
 別にそこまで言わんでも、と思っていると、

「へえ」

 どこか感心した声が、もう一人の方から零れ落ちた。

「なんか・・・すごいな・・・」

 長身のそれは、目を輝かせリナのことを、上から下まで眺める。

「なによ・・・」
「そう言うの、馬子にも衣装って言うんだろ?」

 ずべしっ

 浴衣を着ていることなど忘れ、リナは盛大にズッコケた。

「あんたね! 喧嘩売ってんの!?」
「? なんで怒るんだよ、褒めたのに?」
「褒め言葉であんな・・・いや、ガウリイのことだから、そもそも意味なんて知ってる訳ないか・・・。って言うか、馬子にも衣装なんて言葉、知っていただけでも奇跡だわ・・・」

 ぶつぶつと、呟くリナの頭の上に、ぽんっと、大きな掌が乗る。

「似合ってるぞ、リナ」

 にっこりと微笑まれ、柄にもなく、リナは頬を赤らめた。







「夏祭り?」
「そう! 来週の日曜日に、近くの神社であるじゃない?」
「あー・・・そっか、来週か」

 町の至る所に貼られた張り紙を、リナは思い返していた。
 燦々と降り注ぐ太陽の光に、目が眩む。
 考えていたら、持っていたアイスが溶けてきて、つうっと指に伝ってきた。
 慌てて、リナはアイスを口に運ぶ。

「でも、あんな小さなお祭り、高校生にもなって行って楽しいの?」
「大きいところじゃ、人も多いでしょ。あれくらいがちょうどいいじゃない」

 なるほど、それは盲点だった。
 アイスの最後の一口を食べる。残った棒に書かれた、あたりの文字。

「やった! ラッキー」
「おーい、リナー、アメリアー。なにやってるんだ?」

 その時、校舎の方から声をかけられ、二人は同時に振り向く。
 大きな鞄を手にして、ガウリイとゼルガディスが、こちらに歩いてくるところだった。
 ぶんぶんと、笑顔で手を振るガウリイ。その隣でゼルガディスは、仏頂面で着いてくる。

「あっ、ガウリイさんとゼルガディスさん! ちょうどいいところに!」

 座っていたベンチから、ぴょんっとアメリアが飛び降りた。

「部活は? もう終わったの?」
「ああ、午後からは柔道部が使うんだ。ちょうどいいって、なにがだ?」

 きょとんと首を傾げるガウリイに、アメリアは握り拳を胸の前で固めた。

「来週の日曜日、みんなでお祭りに行きましょう!」
「お祭り?」
「馬酔木神社のことか?」
「そうです!」

 瞳を輝かせ、アメリアは頷く。

「その日も、確か部活午前中だけだよな?」
「そうだが・・・俺は興味ない。行くなら、お前たちだけで行け」
「ええええええええ!」

 ゼルガディスの返答を聞いて、アメリアは大仰に声を張り上げた。
 大きな瞳が、涙で滲む。

「あっ、泣かせた」

 うっ、と、露骨にゼルガディスが呻く。

「な、泣くほどのことか!?」
「だって・・・みんなとお祭りに行きたいんです。来年はわたしたちも受験生で、夏祭りに行けるかも分からないし、だから・・・」

 しんみりとした空気が、四人の間に流れる。
 そうだ、来年はもう、高校三年生。
 大学受験のことを考えたら、夏休みに遊んでいる暇は、ないかもしれない。

 最後の自由な夏休み、か・・・。

 胸中で、リナは呟く。
 蝉の声が、ますます大きくなった気がした。
 はあっと、ゼルガディスが大きなため息を漏らす。

「分かった。行けばいいんだろ」
「本当ですか! やったー!」

 それまでの、悲壮さから一転。
 アメリアは両手を上げると、くるくるとその場で回る。

「待て、お前・・・」
「ふっふっふ、甘いですよ、ゼルガディスさん。わたし、十秒あったら泣けるんです。昔テレビ見て練習したんですよ」

 どうやら、アメリアにまんまとハメられたらしい。
 釈然としないゼルガディスを、怒らないで下さいよーと宥めるアメリア。
 その二人の後姿を見て、リナは小さく笑みを漏らした。

「あっ」

 その時、突然耳元で声をかけられ、びくっとリナは肩を竦ませる。
 振り返れば、こちらの手元を覗き込むようにして、ガウリイが顔を寄せていた。
 思わぬ至近距離に、リナは硬直する。

「あたりだ」

 ガウリイが指差したのは、リナの手の中にあるアイスの棒だった。

「いいなー」
「あっ、あげないわよ!」

 誤魔化すように、リナは声を張り上げる。
 ついでに、こっそりガウリイから距離を取った。

「誰もくれって言ってないだろ」
「欲しそうな顔してたくせに、何言ってるのよ」
「あっ、リナー!」

 すでに校門前まで辿り着いていたアメリアが、こちらを振り返り、ぶんぶんと手を振っている。

「お祭りの日ー! 浴衣着て来てねー!」
「ええええええ!」

 リナは眉を顰める。

「なんで浴衣なんか・・・」
「わたしも着てくるから、約束ねー!」

 こちらの話など一向に聞かないまま、一方的にそう捲し立てると、アメリアは先に行ってしまったゼルガディスの後を、小走りで追いかけた。

「浴衣、着るのか?」

 隣のガウリイが、首を傾げて訊ねてくる。

「着ないわよ!」

 反射的に、リナは大声で叫んでいた。







 調子の外れた笛の音が、境内に響いていた。
 地元の子供会が、今から太鼓を披露するらしい。
 懐かしさに、リナは少し足を止めた。
 小学生の頃は、彼女も太鼓をやっていて、祭りともなれば必ず演奏をしていたものだ。

「どうしたリナ? 足痛むのか?」
「ううん、なんでもない」

 首を振って、リナは再び歩き出した。
 カランコロンと、下駄が軽い音を立てる。
 境内には、いくつか定番の屋台が、軒を連ねていた。
 焼きそばのソースの香ばしい匂いがどこからか漂い、すぐ近くの金魚すくいでは、小さな子供たちが熱心に興じている。

「ゼルガディスさん、林檎飴食べましょうよ!」

 前を歩くアメリアが、ゼルガディスの手をぐいぐいと引っ張った。
 改めて見ると、アメリアはやっぱり綺麗で、自分の残念さにちょっと気持ちが落ち込む。
 紺に金魚の柄なんて、子供っぽ過ぎやしないだろうか。
 アメリアに引かれるゼルガディスは、迷惑そうな顔をしているものの、どこか満更でもなさそうで、境内に灯された明かりの中、二人は本当に楽しそうで、

「いいな・・・」

 思わず、心の声が滑り落ちる。

「んっ?」

 少し先を歩いていたガウリイが、肩越しに振り返った。
 知らず知らず、声に出していたことに、リナは慌てて首を振る。

「な、なんでもない!」

 聞かれていただろうかと、ドキドキしながらガウリイを見たが、彼はなにも言わず、再び前を向き直った。
 ほっとしたのと同時に、少しだけ寂しさが去来する。

「リナー! なにか食べないのー?」

 林檎飴を片手に、叫ぶアメリアに、リナは笑顔を作って近付いていった。





 たこ焼きを食べたり、くじを引いたり、合間で一応お参りもして、時間は思ったよりも早く過ぎていく。

 パアン!

 射的でガウリイと競い合っていた時、不意に近くで大きな音がした。
 振り向けば、お社の屋根に被って、半分隠れた打ち上げ花火が、静かに消えていくところだ。

「もうそんな時間か」

 ちらりと、ゼルガディスが腕時計に目を走らせた。
 花火は、祭りの終わりになると毎年上がっている。
 と言っても、それほど数は多くない。
 一発一発、丁寧にあげられる花火は、派手さこそないものの、夏の終わりを感じさせて、それはそれで趣があった。

「どうする? 見に行く?」

 アメリアに問われ、リナは少しだけ考えた。

「そうね、せっかくだし」

 その一言を皮切りに、四人は場所を移動する。
 お社の横手。その先には、山に入る細い小道があった。
 ここを登れば、町が一望できる丘の上に出る。
 花火が上がる方向は、木々が茂っているため見にくいが、人が少なくて穴場なのだ。
 さすがにここまでは、祭りの明かりも届かず、足元は暗い上に滑りやすい。
 転ばないように慎重になりながら、四人は坂道を進む。
 パアンっと、何発目かの花火が散る音が聞こえた。

「もうすぐ、夏も終わり、か・・・」

 不意に、感傷的な気持ちが込み上げてきて、そんな台詞が口を付く。

「どうしたんだ、いきなり」

 後ろを歩くガウリイが、不思議そうに声をかけてきた。

「ううん、ただ、なんとなく・・・後一週間で、夏休みも終わるなと思ったら、なんか、寂しくなって・・・」

 学校が始まれば、夏休みのことなんて、あっという間に思い出になるだろう。
 来年が来て、再来年が来て、何年も何年も経ったら、この日のことを、一体どれだけ思い出せるだろうか?
 そんな、センチメンタルなことを考えていた、その時だった。
 突然、後ろから手を掴まれたのは――。





「あれ、リナたちは?」

 アメリアの不思議そうな声が、薄闇の中で木霊する。

「遅れてるんじゃないのか。すぐに追いつくだろう」
「・・・そうですね」

 ゼルガディスの返答で、納得をしたのか、二人の足音がゆっくりと遠ざかっていく。
 二人の気配が完全に消えた頃、

「ち、ちょっと・・・」

 上ずった声で、リナは目の前の男を睨み付けた。

「なに、考えてるのよ・・・」

 近くにあった木の影。
 そこに、隠されるようにして、リナはガウリイの腕の中に収まっていた。
 心臓が今にも破裂しそうだ。

「あっ、すまん・・・」

 パッと、ガウリイの手が離れる。
 それでも、肩に残る熱は、まだ取れない。
 バツが悪そうに、ガウリイは頬を掻く。

「その、お前さんが、夏休みがもうすぐ終わるって言うから・・・惜しくなったんだ。このまま、別れるのが・・・」

 カアアッと、音がしそうな勢いで、頬が熱くなるのを感じた。
 まともに顔を見れなくて、見られたくなくて、リナは慌てて背中を向ける。

「リナ・・・? 怒った、のか・・・?」

 恐る恐る訊ねるガウリイに、リナはぶんぶんと、勢いよく首を横に振った。
 少しだけ、背後にいるガウリイの緊張が、和らいだのが分かる。

「はは・・・変だよな。学校が始まったって、また会えるのに・・・。そろそろ行くか。ゼルたちが待って・・・」

 歩き出そうとしたガウリイの服の裾を、今度は、リナが引っ張った。
 振り向くガウリイ。その顔を、リナは上目遣いに見詰める。

「その・・・ちょっとくらいなら、遅れても、いいんじゃない・・・?」

 リナにしてみれば、なかなか勇気を出したと思う。
 ガウリイは、一瞬きょとんと目を丸くした後、嬉しそうに破顔した。

「そうだな」





「そう言えば、さっきお参りした時、ガウリイはなにお願いしたの?」
「オレ? 明日の晩飯、カレーが出ますようにって」
「なにそれ! もっと有意義な願い事しなさいよ!」
「じゃあ、リナはどんな願い事したんだよ?」
「うっ・・・内緒・・・」

 木の幹を背にして、他愛もない会話に花を咲かせて。
 夏の夜は、もうすぐ終わりを告げようとしていた。







思い出になる前に







170225