机に向かい、羽ペンを動かしていたリナは、唐突に手を止めた。
 結界に、反応するものがあったのだ。

「またか……」

 疲れた声で呟き、リナは立ち上がる。
 扉を開けて家から出ると、ちょうど目の前の獣道を歩く少年と、目が合った。

「リナ!」

 パッと笑って、手を振る少年。
 肩にかかる長さの金髪が、彼の動きに合わせて左右に揺れる。
 ともすれば、女の子に見間違えそうなほど、少年は愛らしい顔立ちをしていた。

「あんたね、ここには来るなって、散々言ってるでしょ!」

 声を張り上げ怒鳴りつけると、少年はシュンッと肩を落とす。

「だって、リナといると、楽しいから……」

 いじらしい姿に、リナの胸に罪悪感が芽生えた。
 今日こそは絶対に叩き出そうと誓っていたのに、そんなものは、悠久の彼方に消えてしまう。

「……いいわよ、分かったわよ。好きにしたらいいじゃない」

 自分の意志の弱さに情けなさを感じながら、リナはため息交じりにそう言った。
 少年の顔が、花が咲いたみたいに明るくなる。

「おう!」

 頷く姿ら愛らしく、リナの口元も知らず緩んでいた。



 リナは魔女である。
 国の東の森の、更に奥深くに住まう魔女。
 魔女と言うのは、微妙な存在だ。
 薬を煎じて病を治したり、呪いの力で災いを遠ざけたりする半面、悪魔と契約したり、人を呪ったりする知識も持ち合わせている。
 重宝はするが、あまり好んで関わりたくない存在と言うのが、人々の定説だろう。
 リナもそれは十分承知していた。
 だから村から離れた森に一人で暮らしているし、簡単には辿り着けないよう細工もしてある。
 それだと言うのに、この少年――ガウリイは、何故かその細工に引っかかりもせず、毎日リナのところに通ってくるのだ。

「だいたい、毎日仕掛けも変えてるのに、どうして一度も引っかからないのよ?」
「? なんの話だ?」

 リナの質問の意図が分からず、ガウリイは首を傾げる。
 出されたミルクを、ぐびぐびと一気に飲み干した。
 一度詳しい話を聞いてみたのだが、どうにも要領を得ないと言うか、どうやら本人は、ただの勘任せで歩いてきているらしい。
 それで辿り着けるのだから、どうかしている。

「はー……あんたの父親に、子守の代金請求してやろうかしら……」

 机に頬杖を突き、リナはため息交じりに呟いた。
 実はガウリイは、この国の王様の息子……つまり、王子なのだ。
 王子がこんなところに一人で来るなんて、一体どう言う教育をしているのだと、いつか問い詰めたい。できるはずもないが。
 もう気にするのは止めようと、リナは気持ちを切り替えると、ガウリイが来るまでしていた作業を再び開始した。
 と、それに興味を惹かれたのか、ガウリイがちょこちょことこちらにやって来る。

「なあリナ、なにしてるんだ?」
「来月、収穫祭があるでしょ? その時、大地の精霊に捧げるお礼の文言を書いてるのよ」
「だいちのせいれい?」
「あんた、なんにも知らないのね」

 小さく、リナは笑うと、ガウリイを抱き上げて膝に乗せた。
 彼は興味深そうに巻物を見たが、なにを書いているのか分からなかったようで、眉間に皺を寄せる。

「この世界には、色々な精霊がいるの。水にも、木にも、光にだって。大地の精霊は土地を豊かにして、たくさんの恵みをあたしたちに与えてくれるわ。それに感謝をするお祭りが、収穫祭なのよ」
「うそだー! 生き物はぜんぶ、かみさまが作ったって、神父さまがいってたぞ。せいれいなんて、いるわけないじゃん」

 ガウリイの反論に、しかしリナは少しだけ寂しそうに笑うと、彼の頭を優しく撫でた。

「そうね、今は、そう言う考えが主流よね……。でも、あたしたち魔女は古い人間だから、昔からいる精霊を捨てられないの。例え、世界中の人が忘れ去っても、ね」

 普段から不機嫌そうだったり、自分相手にも容赦なく怒鳴りつけるリナしか知らないガウリイは、初めて見た彼女のその儚い微笑に、驚いたように目を丸くした。
 なにか悪いことを言ってしまっただろうかと、幼い頭で必死に考える。

「リナは……せいれいが見えるのか?」
「もちろん。見たい?」

 予想外の質問をされ、ガウリイは思わず身を乗り出した。

「見れるのか!?」
「ちょっと待ってなさいよ」

 言ってリナは、ガウリイを一人椅子に座らせると、背後の棚をゴソゴソ漁る。
 しばらくして戻ってきた彼女の手には、古びた瓶や乾燥した草が、いくつか握られていた。
 ガウリイの目の前で、リナは手際よく、それらを乳鉢で潰して混ぜ合わせる。
 初めて見る作業を、ガウリイは食い入るように見つめた。

「はいできた。ちょっと目を閉じて」

 言われるがままに、ガウリイは目を閉じた。
 瞼の上を、リナの指がすっと撫でる。
 微かにリナの声が聞こえてくるが、知らない異国の言葉なのか、何を言っているのかまったく理解できなかった。
 どれくらいの時間、そうしていただろうか。

「いいわよ」

 その声を合図に、ガウリイは目を開けた。
 開け放った窓から差し込む、日の光が眩しくて、思わず目を細める。
 と、その時、視界に何かが横切った。
 白い、羽のようなふわりとした服を纏った、小さな人らしきもの。
 それはガウリイと目が合うと、にっこりと笑う。

「――」

 次に瞬きした時、そこには誰もいなかった。
 見慣れた緑の生い茂る森が、窓の向こうに見えるだけだ。
 まるで夢のような一瞬の出来事に、ガウリイは呆然とする。

「どう、見えた?」

 悪戯っぽく微笑みながら、リナが顔を覗き込む。
 逆光のせいか、彼女の顔はいつもよりも輝いて見えた。







 家の外で魔道書を読んでいたリナは、不意に顔を上げた。
 村へと続く獣道。しかしそこには誰の姿もいない。
 小さく、彼女はため息を付いた。
 毎日のようにここに来ていたガウリイが、もう三日も姿を見せていない。
 森に入ったら分かるように結界を張っているので、そもそも森にも近付いていないようだ。
 どうしたのだろう。
 さすがに国王に怒られて、城に閉じ込められているのだろうか?
 それとも、ここに来るよりも他に、もっと面白いことを見つけたのかも知れない。
 子供なんか気まぐれで、興味の対象なんてすぐに変わる。
 もうリナのことなんて、思い出してすらいないのかも……。

「まっ、せいせいしていいけど」

 わざわざ声に出すと、妙に強がっているように聞こえるが、当の本人はそのことに気付いていない。
 再び魔道書に視線を落とそうとしたリナだったが、その動きが途中で止まった。
 彼女の周りに、常人には見えない小さな光が、いくつも飛び交っている。それは、光の妖精だ。
 人型にもなれないほど力は弱いが、世界のどこにでも存在しているため、リナは情報収集のためにそれと契約をしている。

「なんですって……?」

 顔色を変えて、リナは立ち上がった。
 持っていた魔道書が、どさりと床に落ちる。
 その間にも、光の妖精はずっと同じことを繰り返していた。

 ――危ない。危ない
 ――ガウリイが、殺される

 サッと、リナはどこからともなく杖を取り出した。
 呪文を唱えると、彼女の髪が、服の裾が、ふわりと浮かび上がる。
 リナの周りの極々狭い範囲で、力の理が書きかえられているのだ。
 リナが手を放すと、杖がその場に浮かび上がった。
 それに横座りに腰かけると、杖が勢いよく飛び出す。
 あっという間に森を抜け、眼下にある白亜の城へと、リナは一直線に向かった。

 バタンッ

 城の窓が、勢いよく開かれる。
 その音に、人々はハッと顔を向けた。
 窓の外に浮いているのは、栗色の髪をした魔女。

「何者だ!」

 兵士の鋭い詰問の声に、リナは落ち着いて様子で口を開く。

「あたしはリナよ」
「リナ……? もしや、東の森の奥に住む……?」

 リナが頷くと、その中で一番身なりの整った男が、彼女の前に歩み出てきた。年は四十過ぎだろうか。
 顔色が悪く、眠っていないのか目も充血しているが、しかし毅然とした態度で、男はリナを見上げる。

「私は、このエルメキア国の王だ。息子が……ガウリイが、三日前から目を覚まさない」

 男――国王が、ちらりと肩越しに視線をやった。
 それを辿り部屋の中を見たリナは、思わず息を呑む。
 小さいながらも豪奢なベッド。
 そこに、ガウリイが横たわっていた。
 普段の明るさは鳴りを潜め、今は苦しそうに胸を上下させている。
 その彼の周囲を、得体の知れない空気が、まるでとぐろのように渦巻いていたのだ。

「医者も原因が分からぬと言う。お主なら……なにか、分かるのではないか?」

 誰も、ガウリイを取り巻く空気に気付いていないらしい。
 そうだろう、こんなものが分かるのは、魔女くらいだ。
 リナは部屋の中に降り立った。
 足毛の長い絨緞が、彼女の足の裏を包み込む。
 ガウリイの側に駆け寄ったリナは、彼をまじかで見て、全身が総毛立つのを感じる。
 これは呪いだ。
 しかも、ただの呪いじゃない。
 バッと、リナはガウリイに被せていた毛布を、一気に剥がした。
 そして、目を見張る。
 彼の体は、半分から下が、すっかり石化していたのだ。

「なんだこれは!?」

 その様子を見た国王が、驚きの声を上げる。
 ざわりと、召使たちにも動揺が走った。

「石化の呪いよ……。あたしもこんなの、初めて見たわ……」

 なぜガウリイがこんな目に……。怒りに、リナは唇を噛み締める。

「ガウリイは助かるのか!?」
「このまま放っておけば、もって後半日でしょうね。心臓が石化したら、助かる術はないわ」
「おおおおおお……なんと言うことだ……」

 嘆き、国王が手で顔を覆う。

「方法がない訳じゃないわ。呪いをかけた魔女を殺せば……でも、そんな暇はない。第一、こんな呪いが使える魔女なんて、一国の兵士を向かわせたところで、倒せるはずがないわ」
「じゃあ、やはりガウリイは……」
「まだ、手はある」

 国王の言葉を遮り、リナは声高に叫んだ。

「この部屋の全部の窓とドアを開けて! 今すぐよ!」

 リナの号令に、召使たちは戸惑いながらも、バタバタとドアと窓を開けていく。
 閉鎖されていた部屋に、外の風が静かに流れ込んできた。
 リナは杖を顔の前に構えると、小さく息を吐く。
 知らず、誰もがリナとガウリイから距離を置いていた。
 これからなにかが始まると、直感的に悟ったからだ。
 息を呑む周囲の人々の存在を、すでに頭から消し去ったリナは、朗々と呪文を唱え出す。
 その意味が分かる者は、この場には誰もいなかった。
 それは、すでに使われていない古代の言葉であり、リナの声に応え、大気の精霊が部屋へと集ってきているなど、知る者はもちろんいない。
 リナの周囲に集った大気の精霊は、深刻そうな顔でリナの頬や、髪を撫でる。
 彼女がなにをしようとしているのか、契約を交わした者なら、筒抜けだ。そんな彼らに、リナは微笑んだ。

「無謀なのは分かってる……。だけど、お願い……」

 彼女の声に応えるように、部屋の中に風が吹き荒れた。
 人々は目を閉じ、息を詰める。
 ガウリイを取り囲んでいた呪いが、大気の精霊の力を借り、リナへと移動してきた。
 足元が石化してくるのを感じたリナは、胸中で「よし」と呟く。
 これでいい。
 リナは呪いや魔法に対して、耐性がある。
 このまま、呪いを抑え込むことが出来れば……。
 石化の呪いは、あっという間にリナの太腿まで侵食してきた。
 額に汗が滲む。
 リナは呪文を、まるで歌うかのように朗々と唱え続けた。
 腰まで上がってきた呪いが、急に速度を落とす。

(効いてる……! これなら……)

 手ごたえを感じた、その瞬間。突然、視界が半分奪われた。

「えっ……?」

 声を出した気がしたが、それは錯覚だった。
 すでにリナの顔の半分は、石へと変わっていたからだ。
 周りの人が悲鳴を上げる。
 その騒ぎで、ベッドの上のガウリイが目を開けた。
 疲れた様子のその顔が、リナの方を向く。
 そこでリナの意識は、完全に途切れてしまった――





































































「リナっ!」

 肩を揺さぶられ、ハッと、リナは我に返った。
 目の前にいる知らない男が、彼女と目が合った途端、分かりやすいくらいホッとした顔になる。

「リナ、よかった……」

 絞り出すようにそう言うと、男はリナを抱き締めた。
 突然のことに、リナの頭の中はパニックになる。

「ちょっ、なによいきなり!」

 男を引き離し、リナは彼を睨み付けた。

「知らなに女性に抱き着くなんて、失礼だと思わないの!?」

 リナの詰問に、しかし男は狼狽える様子も見せずに、くつくつと笑いだす。

「オレのこと、分からないのか?」
「?」

 逆に問われ、リナは眉間に皺を寄せる。
 長い金髪、青い空のような瞳。
 そう言えば……この顔、どこかで……。
 男が笑った。
 それを見た瞬間、記憶の決壊が一気に崩れ去る。

「まさか、ガウリイ……なの……?」
「おう!」

 恐る恐る訊ねると、男は大きく頷いた。
 そんな馬鹿な!?
 リナが目を丸くした。

「な、なに言ってるのよ! ガウリイは、まだ子供で、あたしよりも小さくて……あなたどう見てもあたしより年上じゃない! ガウリイな訳……」
「だって、お前さんが石になって、十五年経ってるんだから、そりゃ大人にもなるって」
「えっ……?」

 寝耳に水な単語が聞こえ、リナは首を傾げる。

「覚えてないのか? オレにかけられていた石化の呪いを、お前さんが自分に移し替えたこと」
「あっ……!」

 思い出した。全部。
 なにもかも。呪いを抑えるはずが、相手の魔女の方が一枚も二枚も上手で、リナはそのまま石化してしまったのだ。

「そうだ、石化したのよね、あたし!?」
「おう」
「じゃあ、なんで……」
「魔女を倒したんだ」

 一瞬に何を言われたのか分からず、リナはきょとんと眼を瞬かせる。

「って、魔女を!?」
「大変だったんだぞ。魔女を探して、仲間を集めて、何度も死ぬかと思ったんだからな」

 そう言うガウリイの腕には、いくつも傷の痕があり、手や指も、王族のものとは思えないほど武骨で固くがっしりとしていた。
 二人から少し離れた場所に、知らない男女がこちらを見守っている。
 あれが、ガウリイの言う仲間なのだろう。

「なんで、そこまでして……。あんた、一国の王子でしょ? あたしのことなんか、放っておけばよかったじゃない」
「だって、リナが好きだから」
「……へっ?」

 唐突なガウリイの発言に、リナは間の抜けた声を上げた。
 顔が勝手に赤くなる。
 それを見て、ガウリイがにやりと笑う。

「そう言えばリナ昔、オレが求婚したら、十年早いって言ってたよな」

 言った……か?
 そう言えば、言った気がする。
 あの時は、子供の戯言だと思って、適当に流したから……。

「五年遅刻したけど、今度こそ、結婚してくれるか?」

 真っ直ぐ見つめてくる、青い瞳。
 リナは赤い顔を、ますます赤く染め上げた。







 こうして、強く優しい王様と、賢く勇敢な魔女が治める国が誕生したのですが、それは別の物語。
 また別の機会に語るとしましょう。













魔女集会で会いましょう









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