王宮から外に出ると、暖かい日差しが燦々と降り注いでいた。
 オレはそれを、目を細めて受け止める。
 いい天気だ。
 こう言う日は、腹いっぱい飯を食って昼寝が出来たら、それだけで幸せなんだよなぁ・・・。
 こんな呑気なことを考えてるってリナに知れたら、緊張感がない!!って怒られそうだけど・・・。
 なにせ今日は、朝から王宮はずっと、ぴりぴりした空気に包まれていた。
 それと言うのも、フィルさんと、その弟のクリストファが、今日話し合いをするからだ。
 フィルさんの命を狙っているのがクリストファだから、今日の話し合いは罠じゃないかってことくらい、オレにだって想像がつく。
 なにもなく無事に・・・って訳にはいかないんだろうなぁ・・・。
 オレは、隣を歩くリナの方を見た。
 リナはリナで、歩きながら、クリストファの近くにいるカンヅェルを、じっと注意深く見ている。
 このカンヅェルって男も、よく分からん男だ。
 リナ曰く、空間をいじくる、変な魔法を使うだとかなんとか・・・。
 オレもこの間、リナと一緒におかしな目に合ったから、なんとなくそれがどう言った魔法なのかは分かった。
 あれをされて、フィルさんとクリストファが閉じ込められたら、間違いなく厄介だろう。
 そう思っているから、リナはカンヅェルを徹底的にマークして、魔法を使う隙を与えないつもりだ。
 リナの視線に気付いたのか、カンヅェルがこちらを見る。
 口元には、やけに冷たい笑みが浮かんでいた。

「あのカンヅェルとか言う男・・・」

 ふと、リナがオレだけに聞こえるような小声で、ぽつりと呟く。

「さては、あたしに惚れたとみた」

 真面目な口調で、きっぱりとそう言いきるリナを前に、オレは思わず脱力した。

「んな訳ねーだろ・・・」

 突っ込んでから、妙におかしくなってオレは苦笑を浮かべる。
 凄腕の暗殺者に命を狙われたり、変な魔族に襲われたり、ここに来てから、どうにもリナの気の休まることがない気がして、心配だったんだ。
 いつもの調子が出てきたみたいで、少しだけホッとする。

「しかし、そんな冗談が飛ばせるところからして、お前さん、そこそこ自信はあるみてぇだな」
「まずまず、ね」
「もし、あのな何とか言う暗殺者が出で来たら?」
「もちろん。あなたに任せるわ」
「あっ、そーいうことね・・・」

 まあ、それくらい、オレがなんとかしてやるよ。
 リナはカンヅェルに気を付けなきゃいけないだろうし、それに、あんな危ない奴、リナと戦わせる訳にもいかないからな。
 話し合いをするとか言う離れが、すでに遠くに見えている。
 場の緊張感がどんどん高まっていく、その時、

 ぎきぃぃぃぃん!!!
 突然、空間が軋んだ音を立てる。

「なんだ!?」

 誰かが叫んだ。
 その場にいた全員が、注意深く辺りを見渡すが、異変らしいものは見当たらない。
 と、急に日が陰る。
 オレはハッとして上を振り仰いだ。

「違う、上だ!」

 オレの叫びに、全員が一斉に天を見上げた。
 黒い塊が、ちょうど人ごみの中央――つまり、オレたちの上へと落下してくる。

「「「わあああああ!!!」」」

 慌てて、その場を離れた、その直後。

 ドォォォン!!

 鈍い地響きを上げながら、その塊は地面に着地した。
 虫――。そう、虫だ。
 オレたちの前に現れたのは、黒い甲冑を着込んだ、一匹の虫だった。しかもバカでかい。
 小さな家くらいの大きさはありそうなそれを、オレたちは見上げる。
 予想もしていなかったものの出現に、場は軽くパニックに陥っていた。
 兵士たちが一斉に、虫へと攻撃を仕掛けるが、作戦も何もあったものじゃない状態では、虫になんのダメージも与えられない。
 いや、どっちにしろ、しっかり統率が取れていたところで、結果は同じだったのかもしれない。
 兵士たちの攻撃に、虫は涼しい顔で触角をピコピコと動かすだけだ。
 黒い甲冑は見た目通り固いらしく、剣の刃なんか全てはじき返しているし、間接の隙間に攻撃をしても、虫はなんの反応も見せない。
 結構やっかいかもな、こいつ・・・。
 剣を引き抜き、オレがどうやってこいつに斬りかかろうかと考えていると、突然、虫が体の向きをかえた。
 それは、獲物を発見した肉食獣のように、明確な意思を持って、一人の人間の姿を捉える。
 すなわち、リナの方へと・・・。

「なんで!?」

 驚愕の声は、リナのものだった。
 しかし、その問い掛けに答えることもなく、リナに向き直った虫がヴンッと背中の羽を動かす。
 その瞬間、目には見えない衝撃波が、もろにリナのことを吹き飛ばした。

「リナ!!」

 どうやら、考えている暇はなさそうだ。
 オレは剣を片手に走り出すと、一気に虫との間合いを詰める。
 そして、そいつの足に一撃を叩きこんだ。
 手応えはあった。だから、同時に、あまりの呆気なさに拍子抜けする。
 こんなもんかと、首を傾げた、次の瞬間、虫が煩げに足を振り回した。オレが、今斬ったはずの足を。

「なにっ!?」

 慌てて、オレは虫から間合いを取る。
 確かに手応えがあったのに・・・。
 これは、思ってる以上に厄介な相手かも知れん・・・。
 オレが充分に距離を取ると、それを見計らっていたかのように、リナは魔法をぶっ放した。

「塵化滅!!」

 リナの攻撃に、虫は断末魔の様な甲高い悲鳴を上げる。
 しかし、それだけだった。
 虫は、先程となんら変わらない状態で、そこに立っている。
 やっぱり・・・厄介な相手だな・・・。
 今の魔法が、一体どれほどの威力を持っているのかまでは分からないが、リナの動揺した顔を見ると、それなりに効果があって当然の魔法だったのだろう。
 オレは懐を探って、一本の針を取り出した。
 虫の衝撃波をかわし、リナがこちらに向かって声を張り上げる。

「ガウリイ、光を!」

 言われるまでもない。
 オレは針で、剣の刀身と柄をばらすと、なにも付いていない柄だけを再び構えなおした。
 虫が、リナに向かって足の一本を振り上げる。
 遠い。この位置で、届くはずもない。
 それはリナも分かっているのだろう。ちりじりに逃げる兵士たちとは対照的に、その場に留まったまま呪文を唱え続ける。
 だけど、その時、オレの中でなにか嫌な予感が弾けた。

「リナ、逃げろ!!」

 自分の中で育ってきた本能に突き動かされるように、オレは叫ぶ。
 さが、わずかに遅かった。
 風切り音残して、虫が横薙ぎに足を振るう。
 次の瞬間、リナがその場に派手に転倒した。

「リナっ!」

 絶叫が口を突く。
 芝生の上に倒れ込んだままのリナへと、虫が触手を向けた。
 その先端に、白い光が灯る。

「やめろ!!」

 咄嗟に、オレは走り出した。
 だが、それを無情に嘲笑うかのように、虫は光をリナに向かって解き放った。

 ばしゅっ

 鈍い音がして、リナの体が大きく跳ねる。

「!?」

 オレは息を呑んだ。
 雷のような攻撃を受けたリナの全身からは、か細く白い煙が上がっていた。
 それでも、まだ意識があるのか、リナは必死に立ち上がろうともがいている。
 そのリナに向かって、虫がゆっくりと歩き出した。

「やめろ、やめろおおおおお!!」

 オレは虫へと駆けだした。

「光よ!!」

 オレの声に応え、手にした剣の柄から光り輝く刃が生まれる。
 躊躇うことなく、オレは虫の足に斬りかかった。
 甲冑のように固い皮膚も、光の剣の前では、まるで紙のように呆気なく切り裂かれる。
 更に、二撃目。

「はああああ!!」

 気合を込めた一閃に、オレはとうとう、虫の足を胴体から切り離した。
 しかし、

 ギィィィィ!!

 虫は、金きり声を上げると、鬱陶しそうにチラリとオレの方を見て、再びリナへと向き合う。
 まったく、きいた様子がない。

「くそっ!!」

 オレは小さく悪態を付くと、虫を横目にリナへと向かって走り出した。
 すでに虫は、リナの目の前まできている。
 止まらないのなら、リナを助けることの方が先だ。
 リナも自分の身に危険が迫っていることを察しているのか、先程から必死になってもがいている。
 虫ののこぎりみたいな足が、大きく振り上げられた。
 踏みつぶす気か!?
 スピードを上げる。リナはもうすぐそこなのに、それよりも早く、虫の足がリナを目掛けて振り下ろされた。

「リナァッ!」

 間に合わない・・・!
 だが、

 バヂュッ

 リナの目の前まで迫っていた足が、音を立てて消滅する。
 なんだ? なにが起きた・・・?
 理解できなかったのは、虫も同じらしい。
 消滅してしまった足を、不思議そうに眺めている。
 これは、チャンスか・・・?

「うをおおおおおお!」

 オレは方向転換をし、虫へと目掛けて走り出した。
 狙うは、正面――!!
 跳躍し、眼前に迫った虫の頭に斬りつける。

 ギィィィィィ!!

 初めて、虫の口から断末魔の様な声が発せられた。
 大きく体をよろめかせ、足がでたらめに踏鞴を踏む。

「崩霊裂!」

 そのタイミングを待ち受けていたかのように、虫の全身が青い光に包まれる。
 絶叫すら上げる間もなく、虫はあっという間にこと切れる。

「リナッ!!」

 オレは虫の最期を見届けることもなく、倒れ伏せたリナの元まで走った。
 近くに来て、思わず息を呑む。
 服は黒く焦げ、肌が露出しているところは、見るも無残に焼け爛れていた。
 さっきまでは辛うじてもがいていたはずだが、今のリナは、すでにピクリとも動いていない。
 その様子が、オレに最悪の状況を連想させる。

「っ・・・・・・リナ!!!」

 その場に膝をつき、リナに触れようとした、その時、

「触らないで!!」

 鋭い制止の声が、オレの動きを押しとどめた。
 顔を上げる。
 駆け寄ってきたのは、アメリアだった。

「ここは、わたしたちに任せて下さい」

 王宮から、真っ白な服を着た人たちが大慌てで走り寄って来る。
 見覚えがあった。
 この間、リナが何とかって言う暗殺者に襲われた時、潰れた喉を治してくれた魔法医たちだ。
 魔法医たちは、リナの姿を見つけると、わずかに顔を顰める。
 だけど、すぐに呪文を唱えだした。
 白い光がリナを包み込む。

「すぐに治療所に運んで処置をします。安心して下さい。セイルーンの治療における魔法技術は、世界一です」

 アメリアの説得の声も、オレには届いちゃいなかった。
 遅れてやってきた担架に、魔法で浮かばされたリナがそっと乗せられる。

「リナ・・・」

 運ばれていくリナの横に並んで、オレも歩き出す。
 魔法のお陰か、リナの傷はゆっくりとだが塞がっていくのが分かった。
 それでも、まだ痛々しい。
 苦しそうに呼吸をして、時折痛みを堪えるように呻き声を上げる。

「リナッ・・・!」

 咄嗟に、リナの手を掴もうを伸ばした手は、しかし虚しく宙を掻く。
 魔法医の一人に止められたからだ。
 気がつくと、オレたちはいつも間にか、治療所まで辿り着いていた。
 ドアの奥へと消えていくリナを見送るオレに、魔法医の一人が静かな口調で話しかける。

「ここで待っていて下さい」
「なんでだ・・・?」
「これから行う作業は、非常に繊細で集中力を伴います。この人を助けるために、ご協力頂けますか?」

 パタンと、治療所のドアが閉まった。
 オレは力なく、背後の壁に背中を預ける。
 急に、辺りは静けさに包まれた。
 あのドアの向こうで、今まさにリナが治療を受けているなんて、まるでなにかの冗談じゃないかって思うほど、静かだった。

「くそっ・・・!」

 オレは固めた拳を、思い切り壁に向かって叩きつける。
 どうしてオレは、もっと早くリナのフォローに回らなかった?
 そもそも、虫が現われたとき、すぐに光の剣に切り替えていれば、こんな事態は避けられたかも知れないのに・・・。
 今更考えたって仕方のない、様々な後悔がオレの中に渦巻く。
 もし、このままリナが助からなかったら・・・?
 浮かびかけた疑問は、さっき見たリナの無残さと相まって、突然現実味を帯びてきた。

 リナが、死ぬ――?

 脳裏に思い描いた光景はあまりにも鮮明で、オレは寒気を覚えた。
 やめろ。考えるな、そんなこと。
 頭を振って、オレはそのイメージを振り払う。
 大丈夫。リナは助かる。
 信じるんだ。それしか、今のオレにできることはないんだから・・・。
 立ち尽くしたまま、オレは祈った。
 なにに祈ればいいのかなんて、分からない。
 咄嗟に浮かんだのは、優しかったばあちゃんの顔で、オレは縋るように思い出のばあちゃんに語りかけた。
 ばあちゃん、頼む。
 もしいるなら、どうかリナを、助けてやってくれ・・・。







 どれくらいそうしていただろうか?
 時間の感覚なんてすっかりなくなった頃、突然、治療所のドアが開いた。

「!?」

 弾かれたように、オレは顔を上げる。
 中から出てきた魔法医が、オレの姿を見かけると、ほっとしたように微笑んだ。

「終わりましたよ」

 魔法医を押しのけ、オレは治療室に入った。
 変な臭いが鼻を付く。
 真っ白な床と天井。その部屋の中央の、小さなベッドの上に、リナが寝かされていた。

「リナ!!」

 オレは、思わず駆けだすと、リナの側まで向かう。
 この部屋に入る前の、ボロボロの状態がうそみたいに、リナはすっかり綺麗になっていた。
 呼吸で、わずかに上下する胸元を見て、ホッと安堵のため息が出る。
 よかった・・・。リナが、助かった・・・。

「ありがとう・・・」

 そう言って辺りを見渡すと、魔法医の一人が苦々しく笑う。

「お礼を言われるほどのことではありません。正直言えば、助かる確率は半分もありませんでした。助けられたのは、この人の生命力のお陰です」

 穏やかに魔法医は言うが、その目は真剣で、それが謙遜などではないことが伝わってくる。
 本当に危なかったんだ、リナは。
 この人たちでなかったら、オレのあのイメージは、本当になっていたかも知れないんだ・・・。
 オレはリナに手を伸ばした。
 体の傷はしっかりと塞がっていたが、服のダメージまでは消せるものではない。
 特別製だと、普段から本人が自慢しているだけあって、服が消し炭になっているようなことはなかった。
 それでも、あちこちは傷んで引き攣ってるし、膝に攻撃を受けた箇所は、ズタズタになっている。
 それは、リナが受けたダメージを、まざまざとオレに伝えてきた。
 もう、たくさんだ。
 ぎゅっと、オレは唇を噛み締める。
 リナがこんなひどい目に合ってまで、この依頼を続ける必要があるんだろうか・・・?
 フィルさんには悪いが、オレはもう、こんなに傷つくリナの姿を、見たくなかった。
 しょせんは、他人の家のごたごたのことだ。
 オレたちには関係ない。
 そんなつまらないことで、リナを危険に晒したくなんかなかった。
 リナが、わずかに身動ぎをする。
 目を覚まそうとしているのだろう。
 小さく呻き、ゆっくりと、瞼が開いた。
 だけどきっと、リナは自分から「止める」などとは、絶対に言わないはずだ。
 命の危険に晒されて・・・いや、晒されたからこそ、ここで止めるとは、絶対に言わないだろう。
 だったら、終わりと告げるのは、保護者であるオレの役目だ。
 リナがどう言ったところで、オレは折れるつもりなんかなかった。
 リナを失うかもしれない。
 そう思ったときに感じた恐怖を、もう味わいたくなかった。
 目を覚ましたリナの瞳が、虚ろに宙をさまよう。
 やがて、徐々に意識を取り戻したのか、その目に光が帯びてきた。
 明確な意思を持って、辺りを見渡すリナの視線が、不意にオレを捉える。
 意を決して、オレは口を開いた。

「――降りよう、この仕事」







I protect you







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