日が沈むと、町は夜の顔へと装いを変えた。
 電灯には明かりが灯り、どこからともなく、落ち着いた音楽が流れてくる。
 ここには、煩く騒ぐ酔っ払いも、それを怒鳴りつける店主もいない。
 リナの知る夜とは、あまりに違いすぎて、戸惑いすら感じた。
 テラスから空を見上げると、ちかちかと小さな星が幾つも瞬いている。
 世界には自分しかいないのではないだろうかと、そんな錯覚すら覚えた。

「リナ」

 突然声を掛けられ、リナは大袈裟に体を震わせる。

「あんまり長く外にいると、風邪引くぞ」

 恐る恐る振り向くと、テラスの窓辺にガウリイが立っていた。
 逆光で、顔まではよく分からないが、腕を組んでこちらを見る表情は、苦笑しているように見える。

「・・・・・・分かってるわよ」

 憮然とした顔でそう答えると、ガウリイはそれ以上何も言わず、大人しく奥へと引っ込んだ。
 ガウリイの姿が完全に見えなくなると、

(あああああああああああ・・・)

 リナはその場に蹲る。
 出来るだけ考えないようにしようと、テラスに避難してきたのだが、それも無駄な抵抗と終わった。
 晩御飯を食べだした辺りから、リナはソワソワと落ち着きをなくしていた。
 せっかくのご馳走だったのに、それを味わう暇もないほど、彼女は動揺していたのである。
 なにせ、リナとガウリイは(一応)新婚なのだ。
 当然部屋は一緒だし、ベッドだって一緒だし、そうなると必然的に行われることと言えば・・・

(無理無理無理無理!!! 絶対無理!!!)

 ガウリイの口ぶりからすれば、すでに昨夜はそう言うことがあったようだが、そんなのリナは覚えてないし。
 って言うか心はまだ十五歳の少女だし!!!

(どうしよう・・・どうしたら・・・)

 それでも、いつまでもテラスにいる訳にもいかず、リナはよろよろと立ち上がった。
 薬を盛る? 魔法で眠らせる? いざとなったら実力行使で・・・どうにかなる相手か?
 拒んだら、ガウリイは悲しむだろうか?
 いつもにこにこ笑っている顔が、悲しそうに歪む様を考えると、胸の奥がチクリと痛む。
 気持ちもなにも纏まらないまま、リナはこそこそと部屋に入った。
 広い室内には、幾つか家具が置かれている。
 一番奥には、この時期には使われないが暖炉があり、その前にセンターテーブルが鎮座していた。
 そして、その周囲を取り巻くように置かれたソファーの脇で、ガウリイがなにやらごそごそとしている。

「なにしてるの・・・?」

 リナが声をかけると、ガウリイがこちらを向いた。

「ああ、今日はオレ、ここで寝ようと思ってな」
「ここって・・・ソファーで?」

 目を丸くするリナに、ガウリイは困ったように笑う。

「あんなに警戒されてたら、一緒に寝る訳にもいかないだろ。お前さんは気にせずに、ベッド使えよ」

 どうやら、リナの葛藤なんかとっくにお見通しだったようだ。
 特に気にした様子もなく、淡々と寝る準備を進めているガウリイを横目で見ながら、リナはベッドへと滑り込む。
 これでよかったじゃない。
 そう思うのに、海を見た時や、一緒に食事をした時の、ガウリイの嬉しそうな顔を思い出すと、胸が締め付けられた気がした。

(バカみたい・・・なに考えてるのよ・・・)

 新婚なんて言ったって、今のリナにとってガウリイは、今日会ったばかりの他人なのだ。
 警戒するに決まっている。
 だけど、だったら、どうしてこんなに、泣きたい気持ちになるのだろう。
 薄い天幕の向こうでは、寝る準備に追われるガウリイの影が、ちらちらと揺れていた。
 すぐそこにいるはずなのに、この距離が物凄く遠く感じる。
 海岸を歩いていた時は、あんなに側にいたのに。

「明かり消すぞ」

 ガウリイの声のすぐ後、ふっと部屋全体が暗くなった。
 それと一緒に、天幕に囲まれたベッドの上が、妙に寒々しくなったような気がする。
 足音を殺し、ソファーに辿り着いたガウリイが、シーツに潜り込む布の擦れる音が聞こえてきた。

「おやすみ、リナ」

 ガウリイのその台詞を聞いた途端、リナは急に、これで今日一日が終わるのだと言うことを、強く意識した。
 このまま眠って、もし次に目が覚めた時、この出来事が全部夢だったとしたら。
 彼女が最後に見たのは、天幕越しのあの人影だけ。

 そっと、リナは音を立てないように、ベッドから降り立った。
 静かにソファーへと近付くと、途中でそれに気付いたガウリイが、横になったままこちらを見る。

「? どうした、リナ?」

 きょとんと首を傾げるガウリイに、リナはもじもじとしながら、ぶっきら棒に口を開いた。

「その・・・あのベッド、広いから・・・」
「・・・・・・」
「一緒に、寝ても・・・いいわよ・・・」
「・・・・・・リナ・・・」

 起き上がり、近付こうとしたガウリイに、リナは慌てて一歩下がると彼の前に指を突き付ける。

「で、でも! 変なことしたら即行でぶちのめすからね! 分かった!?」

 中途半端に上がりかけていたガウリイの手が、途中で止まった。
 威嚇するように睨み付けるリナを見て、ガウリイが思わず噴き出す。

「はいはい、分かったよ」

 くつくつと笑いながら、ガウリイは彼女の頭を優しく叩いた。
 子供扱いされているようで癪だったが、顔を真っ赤にして凄んでいたのでは、文句を言っても笑われるだけだろう。

「ほら、寝るんだろ」

 差し出された手に、リナはおずおずと自分の手を重ねた。
 天幕を潜り、ベッドの上に引き上げられる。

「ちょっと、近いわよ。もっと下がりなさいよ」
「これ以上無理だって。お前さんこそ、もっとこっち来ないと、寝てる間に落ちるぞ」
「分かってるわよ! だから、あんたがもっと小さくなりなさいよね!」

 我ながら、無茶なことを言っている自覚はあったが、いざ二人で横になってみると、広いはずだったベッドの上がやけに狭く感じた。
 ガウリイが無駄に大きいせいだ。絶対そうだ。そうに違いない。
 だが、ガウリイの大きさに嘆いたところで、ベッドをこれ以上大きくすることも、ガウリイを物理的に縮めることも出来ないのだ。
 自分から言い出した手前、やっぱ無理とは到底言えるはずもない。
 どうにかこうにかガウリイをベッドの端に追いやり、リナも寝返りを打っても落ちないだろう場所に落ち着く。
 二人の間には、枕が一つ横たわっていた。
 リナが設置した、二人の境界線である。

「いい、この枕よりこっちに来ないでよね」
「はいはい」

 頷くガウリイの声音は、面白そうに微かに震えていた。
 笑いを堪えているのだろう。人の気も知らないで、と、リナは胸中で独りごちる。
 ガウリイはすぐに寝始めた。
 目を閉じて、規則正しい呼吸を始める。
 緊張のせいか、すっかり目が冴えてしまったリナは、なかなか寝付けそうになかった。
 手を伸ばせば届きそうな所にある、ガウリイの寝顔。
 意外に睫毛が長い。女の自分より長い気がして、少し嫉妬してしまう。
 スッと通った鼻立ち。意外と厚そうな唇。

「黙ってたらいい男なのに・・・」
「なんか言ったか?」

 ふと漏らした呟きに、突然質問を投げかけられ、リナは飛び上がりそうなほど驚く。

「ね、寝たんじゃないの!?」
「そんなに見られてて、寝られる訳ないだろ」

 閉じていた瞳を開いて、ガウリイがこちらを見た。
 薄闇のせいか、それともベッドの上に二人きりと言う状況のせいか、ガウリイの双眸には昼間とは違う、怪しい光が宿っている気がした。
 もしもこのまま迫られたりしたら、自分は拒みきれるだろうか・・・?
 そんなことを考えている最中に、はっと我に返る。

(なに考えてるのよ、あたしは!!!)

 真っ赤になった顔を隠すように、リナは枕の陰に身を寄せる。
 くっ、と、ガウリイが笑いを押し殺す声が聞こえた。

「安心しろって、襲わないから。オレも、ぶちのめされたくないからな」

 まるで頭の中を見透かされたみたいで、リナはますます赤くなった。
 きっとガウリイは、リナがそんなこと出来ないって、気付いている。
 そう、足掻いたところで自分は子供で、最終的にはこの男に守られることになるのだ。
 それが悔しくて、それと同時に、なんだかくすぐったい。
 大切にされているのだと、それに気付いた時、リナは胸の奥に愛しさのようなものが込み上げてくる。
 ちらりと、リナは枕の陰からガウリイを見た。
 再び、あの瞳に見据えられたが、今度は目を逸らすこともなく、見つめることが出来る。

「どうした?」
「ねえ、一つ聞いていい?」

 きょとんと目を瞬かせながら先を促すガウリイに、リナは恐る恐る口を開いた。

「もしも・・・もしもよ? このままあたしの記憶が戻らなかったら、あなたどうするの?」
「そうだなぁ・・・」

 うーんと、首を捻ってガウリイは考える。

「記憶が戻らなくっても、今までと別に変わらんと思うけどなぁ・・・」
「なんでそんなこと言えるのよ?」
「リナが好きだから」

 ふわりとガウリイに微笑まれた、その時、リナは確かに自覚した。


 ――自分が、恋に落ちた瞬間を。


「バカ言ってるんじゃないわよ!」

 シーツを被って、リナはガウリイに背を向ける。
 背中越しに、なにやらガウリイが不満そうな声を上げるのが聞こえたが、その声はすでにリナの耳に届いていなかった。
 バクバクと、鳴り響く心臓の音を耳の奥で聞きながら、そっと自分の頬に手を当てると、信じられないほどの熱を帯びている。
 まるで病気にでもなったみたいだ。
 頭がふわふわして、まるで何も考えられない。こんな感情、二十歳の自分は、一体どうやって抱えていたと言うのだろうか?

(でも不思議・・・ちっとも嫌じゃないなんて・・・)

 それはまるで、宝物を見つけた子供の時、期待と興奮で明日が待ち遠しかったあの感じに、よく似ている。
 忘れたら寂しいと思っていた。
 だけど、きっと忘れない。だってこんなに幸せな気持ち、きっと忘れられそうにない。

(明日に、なったら・・・)

 意識が遠のき、瞼が重くなる。
 いつの間にか、睡魔が優しく彼女を、眠りの淵へと誘おうとしていた。

(今度は、あたしが・・・がうりい、に・・・)

 思考が途切れる。
 新しく知った感情をそっと胸に抱き、リナは夢の世界へと落ちていった。



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