洗面所の鏡に映った自分の姿を、リナはしみじみと見詰めた。
 見知った自分の顔のはずなのに、他人の顔を見ているような違和感がある。

「ちょっと違う・・・かな・・・」

 自分の顔に手を伸ばすと、鏡の中の自分も同じように頬を指でなぞった。
 なんだか変な感じだ。
 年を取ると、もっと色々変わると思っていたのに・・・。

「ここは全然変わってないし・・・」

 不服そうに呟いて、リナは自分の胸元を見下ろした。
 ささやかな胸の膨らみ。
 ここだけは、彼女の記憶と寸分変わらない状態のままで、いっそ憎らしくなる。
 なんだか憂鬱な気分で外に出ると、待っていたはずのガウリイの姿が見当たらなかった。

「あれ・・・どこ行ったんだろ・・・?」

 きょろきょろと辺りを見渡してみるが、それらしい人物はどこにもいない。
 うーんと、リナは腕を組んで頭を捻る。
 ちょっと離れているだけなら、待っていればそのうち現れるだろうが、どうにもガウリイは鈍くさいところがある気がした。
 離れたはいいが、そのまま迷子になって、帰れなくなっているかもしれない。
 探した方がいいだろうか? でも、入れ違いになっても困るから、なにか伝言になるものでも残して・・・。
 などと、リナが考えていた、その時。
 パサッと、なにか軽いものが彼女の頭に乗せられる。

「?」
「おー、似合うぞ、リナ」

 呑気な声に振り向けば、そこには上機嫌ににこにこと笑う、ガウリイの姿があった。
 無言で頭の上にあるものを手にする。
 それは、白い花で作られて冠だった。

「なによ、これ・・・」
「そこでくれたんだ。リナに似合うと思ってな」

 険しいリナの視線などものともせず、ガウリイは満面の笑顔を浮かべる。
 あれこれ心配してやったこちらの気も知らずに、こうものほほんとされては、殺意だって芽生えると言うものだ。
 二十歳の自分は、よくこんなのに付き合っているものだ。
 呆れるを通り越して、もはや尊敬の念すら感じられる。

「ちょっと海の方に行かないか?」

 ガウリイはそう言うと、リナの返事もまたずにゆっくりと歩き出した。
 断るタイミングを失ったリナは、仕方なくその背中を追う。
 海が近い割に、この町の太陽は穏やかだった。
 時刻は昼を回り、そろそろ陽射しが一番強くなる時間に差し掛かっても、チリチリと肌を焼くほどだ。
 それでも、海を見ると、飛び込みたい衝動に駆られるのだから、不思議だ。
 薄く、空の青を引き延ばしたような、澄んだシアン色の海。
 真っ白な砂浜が、海の中まで続いているのが、遠くから見ても分かるほどだった。

「おお、海だー。でっかいなー」

 なにやら感慨深げに、ガウリイは呟くと、石畳の階段を降りていく。
 耳を打つ波の音や、全身を息苦しいほど包む潮の香り。
 五感を刺激する海の存在感を目一杯堪能して、リナはガウリイの後を付いて行った。
 ガウリイは、なにやら嬉しそうな顔で、海のずっと遠くを見つめている。
 横からこっそり覗き込んだリナは、こういう顔もするのかとちょっと驚いた。
 ガウリイの瞳は、海と空を映し出して、いつもより更に深みが増して見える。

「あっちになんかあるぞ」

 ふと、視線を巡らせたガウリイが、海岸沿いになにかを見つけた。
 同じ場所に目を向けたリナは、

「ああ、桟橋ね」

 そう答えた。
 本来ならば船を停める場所なのだが、それらしい船は一艘も見当たらない。
 きっと、海の上に行けるよう、作られた場所なのだろう。

「行ってみようぜ」

 そう言うと、ガウリイは自然な動作でリナの手を握った。

「ふえっ?」

 思わず、おかしな声がリナの口から出てしまう。
 振り返ったガウリイは、どうしたと言いたそうにリナを見るが、やがて手を握っているせいだと気が付いた。

「あー・・・嫌だったか?」
「嫌って言うか・・・」

 嫌ではないが、突然こんな風に手を繋がれる経験なんて、当然リナにはない。
 なにかを言おうと口をパクパクさせるが、結局言葉は出ずに、

「嫌では・・・ないけど・・・」

 そう絞り出すだけで精一杯だった。

「そっか。じゃあ、いいよな」

 勝手に結論付けたガウリイは、リナの手をつないだまま、桟橋に向かって歩き始める。
 嫌ではないと言った手前、まさか手を振り払う訳にもいかず、リナはされるがままに後へ続いた。
 大きな手だった。余分な物なんか一切排除されたかのような、硬い掌。
 あちこちに出来たタコは、彼が戦士として今まで生きてきたことを、代わりに物語っていた。
 心臓が煩いくらいに鳴り響く。
 ガウリイにも聞こえてるんじゃないかと、ちらりと様子を窺うが、その嬉しそうな横顔からは、何も窺えなかった。

「ねえ、聞きたいんだけどさ」

 黙っていると、緊張でどうにかなってしまいそうで、リナはぶっきら棒に口を開く。

「なんだ?」
「なんで、あなたとあたしは、一緒に旅をしてたの?」

 未だに、どうしてこの男と一緒にいるのか理解できないリナは、率直にそう訊ねた。
 どちらかと言えば、一緒にいると胃が痛くなりそうな男だと言うのに。
 ガウリイは「うーん」と唸ると、しばらく黙る。
 もしかして、そんな昔のことなんか忘れた、などと言い出すのではないかとドキドキしていたら、ガウリイはとんでもない台詞を口にした。

「どっから話したらいいかなー。オレって昔、光の剣を持ってたんだけどな」
「へっ!?」

 素っ頓狂な声が、リナの口から飛び出した。
 光の剣と言えば、最も有名な伝説の剣の一つであり、そんなものが本当にあったとしたら、それこそ世紀の大発見だ。

「ちょっ、本当なのそれ!?」
「いや、今はもう持ってないぞ」
「なんでよ!?」
「リナは元の場所に還された、とか言ってたけど」

 ガウリイの言った意味はよく理解できなかったが、なるほど、それならこの男と一緒にいるのも合点がいく。
 光の剣なんて持っていたら、相手に嫌がられてたって付いて行くだろう。

「お前さんひどかったんだぞ。光の剣を、五百五十で売れって言ったり」
「そりゃ、出来るだけ安く物を買うのは商売の基本だもの。当然じゃない」

 至極真顔で言い切るリナを見て、ガウリイはくつくつと笑うと、リナらしいなーと呟く。
 ゆっくりと歩きながら、ガウリイはその後も、ぽつぽつと話を続ける。
 それは、思い出話と言うには断片的過ぎて、傍で聞いていたリナはほとんどなにも分からなかったが、それでも黙って耳を傾けていた。
 絶え間なく聞こえる波の合間に、ガウリイの声が響く様は、なんだか妙に現実離れしている。
 ふとリナは、もしかしてこれは夢なのでは、と思った。
 本当の自分はまだ十五歳で、いつものように安宿で眠っていて、朝になって目を覚ますと、なにも覚えていなくて。
 この光景も、ガウリイのことも、なにもかも忘れてしまうのではないか、と。
 そんなことを考えると、なんだか無性に、寂しい気持ちに襲われた。
 少しだけ、リナはガウリイの手を強く握る。
 ガウリイはリナよりも強い力で、彼女の手を握り返した。

(忘れるのは、勿体ないな・・・)

 声には出さずに、リナは呟く。
 だって、こんなにも綺麗なんだから・・・。
 青い空と、青い海は、どこまでもどこまでも続いていた。



<< >>

140912
title by 構成物質