「とりあえず、整理しましょう」

 衝立の奥で、見つけた自分の服――と思われるもの――に袖を通しながら、リナは努めて冷静に声を上げた。

「あなたの名前はガウリイ。で良かったわよね?」
「おう」

 衝立越しに、元気のいい返事が返ってくる。
 ガウリイ・・・とリナは口の中で繰り返した。
 聞き覚えのない名前だ。何度記憶をさらっても、そう言う人物に心当たりは無かった。

「あたしとあなたは、あたしが十五歳の時に出会って、それからずっと一緒に旅をしている、と」

 返事はなかったが、特に肯定するまでもないことなのだろう。
 なにせ男にとっては、それは今更確認するまでもない事実なのだから。
 リナはこめかみの辺りを押さえる。
 頭痛がしそうだ。いや、もうすでに、彼女の頭の芯はじんじんと痛みを訴え始めている。
 まったくもって、信じられない話だった。
 十五歳の時と言われても、そもそもまだ十五歳にすらなっていないと言うのに・・・。
 とりあえず落ち着こうと、リナは大きく深呼吸をする。

 考えられる可能性は大きく二つある。
 まず、男が嘘をついている場合。
 これが今のリナの中では一番現実的で、かつ信用に値するものなのだが、こんな突拍子もない嘘をつく理由がよく分からない。
 それに、間違いなく嘘であると言う確信が、イマイチ持てずにいた。
 どうにも、彼女の記憶もあやふやなのである。
 自分の名前も、故郷も、出会った人のことも、どれも思い出せるのに、では最近どこで何をしていたのかと考えると、なぜかはっきりしない。
 尤も、記憶は薬か何かを使われて、こうなっている可能性もある。
 だが・・・。
 リナは自分の着替えの中にあった、黒のバンダナを手に取った。
 裏には『宝石の護符』が縫い付けられているそれは、彼女お手製のものである。
 そう、間違いなく彼女のものだ。
 だが、この『宝石の護符』は、リナには見覚えのない物だった。
 トントンッと、彼女は額を叩く。
 わざわざ用意した? 嘘に信憑性を持たせるために?
 ないとは言えない。でも、どうにも考えにくい。

 そうなると、残る可能性はもう一つ。
 つまり、男が嘘をついていなくて、二人でずっと旅をしていたことも、リナが二十歳であることも、最近結婚して新婚であることも、全部本当のこと・・・

「あああああああああ、もう、やめやめ!!!」

 不意に、さっきまで自分が裸であったことを思い出したリナは、慌てて大声を張り上げると思考を一時中断する。
 もし本当だとしたら、つまり昨夜はそう言うことがあったと言う訳で、それってつまりリナがあの男と・・・

「だから、やめだって!!!」

 鮮明にイメージしそうになり、リナはぶんぶんと首を振った。
 顔が熱い。ぺちぺちと頬を叩きながら、ようやく着替えの終わったリナは、衝立から出て来た。

「なに叫んでたんだ?」
「・・・・・・なんでもないわよ」

 正直に言う訳にもいかず、リナは憮然とした表情で答える。
 ガウリイの顔を直視するとまた色々考えてしまいそうなので、視線は逸らしたまま、ぶつぶつとリナは呟いた。

「とりあえず、警備兵に突き出すのは、勘弁してあげるわ」
「おう」

 そんなに嬉しいのかと訝しがるほど、ガウリイはにへらと頬を緩ませた。
 この男はリナより年上だろうはずなのに、なんだか妙に子供っぽいような気がする。
 二十歳の自分は、こんな男がタイプだと言うのだろうか?
 どちらかと言えばリナは、もっと大人っぽくてダンディなおじさまがタイプなのだが・・・。

「リナ、腹減ってないか?」

 問われて、リナは自分のおなかに手を当てた。
 そう言われると、急に空腹感を感じるから不思議だ。

「もうすぐ昼だもんなー。なにか食いに行くか」

 先導して部屋を出るガウリイに続き、リナも部屋を出た。
 廊下に出ると、思わず目を剥く。
 広い。とにかく、広い。大人が四人並んで歩いても、まだ余裕がありそうだ。
 天井からは小振りだが上品なデザインのシャンデリアが、一定の間隔を保って吊るされていて、足元は隙間なく高そうな絨毯が敷き詰められていた。

「どうしたんだ?」

 思わず歩みを止めたリナに、先を歩いていたガウリイが振り返って聞いている。
 小走りにガウリイの背中に追いつくと、リナは怪訝な表情で彼を見た。

「ねえ、ここってどこなの?」
「えっと・・・なんだっけ?」

 首を傾げるガウリイに、リナは顔を引き攣らせる。

「なんで覚えてないのよ!」
「そう言うのはオレの仕事じゃないからなぁ」

 呑気に笑うガウリイは、まるで緊張感がなくて、リナは大きくため息を付いた。
 頼りないことこの上ない。
 本当に、どうして自分はこんな男と一緒に、もう五年も旅をしているのだろうか?
 叶うことなら問い詰めてやりたい。

「なんて言ったかな・・・なんか海沿いの、金持ち相手のリゾート地だとかなんとか・・・」
「もしかして、アレクシア・タウン?」
「おー、なんかそんな名前だったかなぁ」

 間延びした声で、それでもガウリイは頷いた。
 アレクシア・タウン。名前くらいなら聞いたことがある。
 町一つがリゾート地になっていて、普通の観光客は入れないと言う話だ。
 新鮮な海の幸、綺麗な海、充実したサービスにセキュリティーと、庶民にとっては憧れ、お金持ちにとってはメジャーなリゾート地となっているらしい。
 しかし、リナには正直興味のない場所だった。
 新鮮な海の幸も綺麗な海も、高いお金を払わなくたって堪能することは出来るし、そう言うことにお金を使うのはすごく無駄な気がする。
 ムダ金を使うことは、商人の娘として産まれたリナにとって、本能的に忌避することだ。
 だから、自分がこんな場所にいるのは、物凄く違和感があった。
 緩やかな階段を降りていくと、一階のロビーへと辿り着く。
 ホテルのスタッフらしき男性が、静かにガウリイへと近付いた。

「おはようございます、ガブリエフ様。本日のご予定は?」
「とりあえず、何か食べようかと思うんだけど」
「でしたら、ご案内いたします」

 流れるような動作で、スタッフは二人の斜め前に立つと歩き出す。
 決して差し出がましくなく、まるで訓練された戦士のように無駄のない動きに、リナは内心舌を巻いた。
 普段泊まっているような、安宿では絶対に拝むことが出来ない光景だ。
 あれはあれで、人間味があってリナは好きなのだが、なるほど、これはお金を出してでも泊まりたいと思う連中がいるはずだ、と、密かに感心する。
 スタッフに案内されたのは、中庭に面したお洒落な食堂だった。
 昼にはまだ少し早い時間のせいか、人の姿も疎らである。
 リナたちが通されたのは、中庭が一望できる奥まった場所にある席だった。
 ウエイターがメニューを見せようとするのを、ガウリイは片手で遮る。

「作れるの全部持ってきてくれるか?」
「は、はっ? 全部で、ございますか?」
「ああ」

 戸惑うウエイターに、ガウリイは満面の笑みで頷く。
 ぎこちなく立ち去るウエイターを見送って、ガウリイはリナへと向き直った。

「ここって魚とかが旨いんだってよ。昨日着いたばっかりだから、まだ食べてないんだけどな」

 楽しそうに、にこにこを笑うガウリイだったが、ふと、リナの方を見ると表情を変える。

「どうしたんだ、リナ? 飯、楽しみじゃないのか?」

 何と言う鈍感。リナは嘆息を漏らす。
 彼女が浮かない顔をしていることに、今頃気付いたらしい。

「あのね、どうしてそんなに、能天気にしていられるの?」
「? 能天気か、オレ?」

 きょとんと目を丸くするガウリイを前にして、リナはこめかみを抑えた。
 本当に本当に本当に本当に・・・どうしてこんな男と一緒にいるのだろう、自分は!!!
 叫びたしたい衝動をグッと押さえて、リナは絞り出すように声を出す。

「いい? もし仮にあなたの言うことが本当だとするとよ、あたしは今、記憶喪失になってるってことよ。分かってるの?」

 ぱちぱちと、ガウリイは目を瞬かせ、

「おお、そう言えばそうだな!」

 ぽんっと、手を叩く。
 謎の脱力感に襲われ、リナはその場に突っ伏した。

「リナ?」
「あ・・・あ・・・あ、ん、た、はあああああああああ!!! なんでそんなに脳みそクラゲなのよおおおおおおお!!!」

 ガウリイの胸倉を掴んで、ガックンガックンと揺さぶるリナ。
 周囲から唖然とする視線を投げかけられるが、それもまったく意に反さない。

「まあまあ、落ち着けってリナ」

 揺さぶられているとは思えないほど呑気な声で、ガウリイは口を開く。

「なんであんたは!! そんなに落ち着いていられるのよ!?」
「だってなー。ここでどうこう言っても、お前さんの記憶が戻る訳じゃないだろ? じゃあ、焦っても無駄かなぁって」

 全身の力が抜け、なだれ込むようにリナは椅子へと座り込んだ。
 疲れる。物凄く疲れる。
 と言うかこう言う場合、普通当人よりも周りが戸惑うものではないだろうか?

「おっ、リナ。早速なにか来たみたいだぞ」

 ガウリイの声に、リナはよろよろと顔を上げる。
 ウエイターが前菜らしいものを持って、こちらに向かってくるのが見えた。
 無言で、リナは手元にあったフォークを握る。
 このストレスは、食事で発散することを固く心に誓って。



 食事は大変美味しかったことを、ここに記しておく。


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