力任せに振るった剣が、木の幹に当たった。
 痺れた痛みが、腕を走る。
 それと同時に、甲高い音を立てて、中程で折れた刃が、近くの草地に突き刺さった。
 日の光を受けて、鈍く光る刀身。

「くそっ!」

 忌々しそうに吐き捨てると、ゼルガディスは使い物にならなくなった剣を、足元に叩きつける。
 強くなりたい。最初は、そんな純粋な思いから、剣を手に取った。
 毎日鍛錬を重ね、メキメキと腕を上げていったが、それと共に、ゼルガディスは気付いてしまったのだ。
 自分には、とても辿り着けない頂きがあるのだと。
 この世界には、ゼルガディスよりも剣の腕の立つ人間が、たくさんいる。
 そんな者たちの中には、努力では絶対に到達しないような、そんな場所に立つ者たちもいた。
 ああなりたいと願うのに。強くなりたいと望むのに。
 どれだけ努力をしても、自分では届かない、高み。
 純粋だった気持ちには、少しずつ、どす黒い感情が混ざっていく。
 それは、羨望とか、妬みとか、焦りとか、そう言う名を伴って、ゼルガディスの感情を煽り立てた。
 もっともっと、強くなりたい。
 だけど、そう思って努力をするほど、彼の中に響く声は、日を追うごとに大きくなっていく。

 お前は頑張って、しょせん天才にはなれないのだ、と――。

「くそっ・・・!」

 拳を木の幹に叩きつけた。
 加減なく殴ったせいで、皮膚が裂けて血が滲む。
 力が欲しい。
 誰にも負けない、自分だけの、圧倒的な力が――・・・。

「その気持ちに、偽りはないか?」

 不意に、声をかけられて、ゼルガディスは振り返った。
 木立の陰に佇む、一人の男。
 逆光のせいか、ゼルガディスから男の表情は窺えなかった。
 ただ、身に付けた真っ赤な衣が、やけに鮮やかで、網膜に焼き付く。

「なにを犠牲にしても、強くなりたいか?」
「なりたい!」

 反射的に、ゼルガディスは叫んだ。
 握り締めた拳に爪が刺さり、鈍い痛みを生む。

「もっと・・・もっとだ・・・。もっと、強くなりたい・・・!」

 顔は見えないのに、なぜだろう。
 ゼルガディスには、男が微かに笑った気がした。

「だったら、力をやろう」

 暗がりの中から、手が差し出される。
 射し込む光が、掌だけをぽっかりと照らし出し、まるで幻でも見ているような、不安定さを生み出した。
 この手を掴めば、力が手に入る。
 誘われるように、ゼルガディスは手を伸ばした。
 目の前に立ち塞がる、限界と言う壁。

 それを越えられるなら、例え、人間ヲ捨てテモ・・・。

 掴んだ手が、やけに冷たい。
 見下ろしたゼルガディスは、自分の腕を見て、目を見開いた。
 人とは思えない蒼白い肌。
 そこに、無機質な鋼鉄の岩が、無数に浮かび上がる。
 体が震えるのが分かった。
 顔を上げると、いつの間にか、そこに男の姿はなかった。
 代わりにあったのは、あまりに人とはかけ離れた姿の、異形の化け物――







「ゼル!」

 その声に、ゼルガディスはハッと目を開けた。
 耳の奥で、どくどくと心臓が脈打っているのが分かる。
 一瞬、ここがどこで、自分が誰なのか、分からなかった。
 ゆっくりと視線を巡らせると、心配そうに覗き込むガウリイの顔を、を視界の端に捉える。
 それを見て、ようやく気が付いた。自分が、夢を見ていたことに。
 ノロノロと、その場に起き上がる。
 そんなゼルガディスを見て、彼は口を開いた。

「大丈夫か? 随分うなされてたぞ?」
「ああ・・・ちょっと、夢見が悪かったな・・・」

 夢を見るのは珍しかった。
 痛むこめかみを抑えると、彼の動きに合わせて、髪の毛が流れ落ちる。
 炎に照らされ、硬質的な光を湛える、それ。
 ただの夢ではなかったなと、ゼルガディスは自嘲気味に笑う。
 すでにガウリイは、ゼルガディスの側から離れて、焚き火の近くに移動していた。
 集めていた枝を放り込むと、わずかに炎の勢いが増す。
 今夜は野宿だった。
 野宿の時は、交代で見張りのために起きているのだが、夜中の一番眠い時間帯は、必然的に男が担当することになる。
 女たちは火から少し離れたところで、毛布に包まり、すやすやと寝息を立てていた。
 ちょっとやそっとでは、起きそうにない。
 不意に、ガウリイが振り返った。

「お前さんの見張りの時間、まだだから、もっと寝てていいぞ」
「ああ・・・」

 頷きながらも、ゼルガディスは横になる気になれなかった。
 それ以上口を挟む気はないらしく、ガウリイはまた焚き火に向き直る。
 逆光で、大きな背中が黒く浮かび上がった。
 男の平均からは、やや小柄で、華奢な部類に入るゼルガディスとは違い、ガウリイは背も高いし、体格もがっしりしている。
 無駄なく付いた筋肉は、彼が鍛えられた戦士であることを、雄弁と伝えてきた。
 この男は、ゼルガディスが今まで出会ってきた中で、間違いなく一流の剣士だ。
 これほど腕の立つ男を、ゼルガディスは他に知らない。
 不意に、夢のことを思い出す。

 もしもあの時、もしも――

「なあ、旦那」

 突然、ゼルガディスに声をかけられ、振り返ったガウリイは首を傾げた。

「ちょっと、頼みがあるんだが」







 焚き火をしている場所から、少し離れた開けた空間に移動すると、ゼルガディスは呪文を唱えた。

「明かりよ!」

 彼の声に応え、掌に生まれた光る球体が、宙に放られる。
 月明かりよりも明るい光が、辺りを照らし出した。

「で、なんだ? 頼みって?」

 訊ねるガウリイに、ゼルガディスは振り返ると、手にした剣を鞘から引き抜く。
 ライティングの灯りを受けて、刀身がぬらりと光った。

「少し、手合せをしてほしい」

 ゼルガディスの申し出に、ガウリイはきょとんと眼を瞬かせる。

「ちょっと、夢見が悪くてな。このままじゃ寝れそうにないんだが、体を動かせば、多少は気も紛れると思う」

 駄目か? と問いかけるゼルガディスに、ガウリイはポリポリと頬を掻いた。

「まっ、別にいいけど」

 ゼルガディスに倣い、ガウリイも剣を引き抜く。
 片手に剣を持ち、構えもせずに突っ立っているガウリイに、ゼルガディスは向き直った。

「俺は魔法は使わない。だが」

 両手に剣を構え、正眼でガウリイを睨み付ける。

「全力で来てほしい」

 ゆっくりと、ガウリイが構えるのを見て、ゼルガディスは息を整えた。

「行くぞ」

 小さく宣言をし、ガウリイへと真っ直ぐ突っ込んでいく。

 ギィンッ

 鈍い音を立てて、互いの刃が噛みあった。
 力比べをしたところで、この男に勝てるはずがない。
 ゼルガディスはすぐに間合いを外すと、側面に回り込み、すぐさま斬りかかった。
 しかし、この動きは読まれていたのか、易々とガウリイに受けられる。
 構わず、ゼルガディスは剣を奮い続けた。
 下段、上段と、次々と繰り出す攻撃を、しかしガウリイは、涼しい顔で受け流す。
 反則だと、ゼルガディスは思った。
 力も、技も、スピードも、全てを兼ね備えているなんて。
 魔法は使わないと言ったが、仮に魔法を使っても、この男に勝てるかは、正直五分五分だった。

 もしも、もしもあの時、自分にこの男と同じくらいの力があったら。
 自分はあの時、レゾの手を、取っただろうか・・・?

 どうして、こんな男が存在するのだろう。
 絶対に、人の身では到達することはできないだろうと思っていた場所に、易々と立つ人間が存在するなんて。
 なんの努力もなしに、という訳ではないことは、分かっている。
 それでも、胸内に沸き上がる薄暗い感情は、抑えきることができなかった。

「はあっ!」

 珍しく声を上げ、ゼルガディスは斬りつけた。
 それを防がれ、弾かれるた拍子に、ゼルガディスの脇腹ががら空きになる。
 斬られる!
 そう思い、身構えたが、ガウリイは突っ込んでこない。
 薄く、ゼルガディスは笑った。
 この体に、剣など通用しないことが、分かっているからだ。
 確かに、そうやって見せた隙に攻撃してきた相手を、逆に斬りつける戦法を、ゼルガディスはよく使っていた。
 皮肉なものだ。
 忌み嫌っているこの体を、結局一番利用しているのは、自分なのだから。

 それまで受けてばかりだったガウリイが、突然反撃に転じる。
 小さく呻いて、ゼルガディスはそれを受け止めた。
 休むことなく、次々に繰り出される剣技は、ゼルガディスの足をその場に縫い付ける。
 このままじゃダメだ。
 どうにか、この場を抜け出さねば・・・。
 しかし、ゼルガディスが考えを巡らせる間に、ガウリイも剣は速さと重さを増していく。
 そして、

 キィィン

 甲高い音を立てて、ゼルガディスの剣が弾き飛ばされた。
 目の前に、切っ先が突きつけられる。
 粗く繰り返す息が、静かな夜の空間に響いた。
 はあ・・・。
 大きく息を吐いて、ゼルガディスは両手を上げた。

「参った。降参だ」

 スッと、ガウリイが剣を下げる。
 それまでの張りつめた空気が、一瞬で和らいだ。

「いやー、結構やるな、ゼル」

 へらっと相好を崩して、ガウリイはゼルガディスに笑いかける。
 もはやそこには、先ほどまで打ち合っていた、凄腕剣士の面影などない。

「剣は魔法のおまけなのかと思ってたけど、そんなことないんだな」
「これでも最初は、剣士を目指していたからな」

 ガウリイから離れると、ゼルガディスは落ちた剣を拾いに行った。
 鞘に戻して、腰に差す。

「そうなのか。勿体ないな」

 ふと、背後から、ガウリイの声が聞こえる。

「ゼルなら、すごい剣士になれそうなのに」

 それは、お前よりもか・・・?

 聞こうとした言葉は、結局、喉の奥に張り付いたまま、出てこなかった。
 振り返って、ゼルガディスは、小さく笑う。

「そうか。覚えておこう」








空は遠く、僕を嘲笑う







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