それは、光

 ぱらぱらと、細かな砂が顔にかかる。
 オリヴィエが意識を取り戻したとき、最初に感じたのはそれだった。
 やけに感覚が鈍っているお陰で、自分の体が今どうなっているのか、さっぱり分からない。
 ただ、あり得ないくらい寒くて、そのせいで、気分まで悪くなっているようだった。

「オル!! しっかりしろ、オル!!」

 その時、ふいに切羽詰まった声がオリヴィエへとかけられる。
 オリヴィエは初めて、まだ自分が目を閉じていることに気が付いた。
 瞼をこじあげようとするが、なかなか上手くいかない。
 それでも、全気力を込めて、オリヴィエは目を開いた。
 暗い・・・。夜目は利くはずなのに、ほとんどなにも見えない。
 おかしいと訝しがるオリヴィエの視界の真ん中で、影がゆらりと揺れた。

「オル!! 気付いたか!!」

 ほっと、安堵のため息がオリヴィエの耳に届く。
 顔まではっきり分からないが、それがアンリであることには間違いないだろう。

「とりあえず、その傷を塞いで、どうにか自力で立ち上がれないか? 入り口は塞がっているけど、早くここから離れないと、ルチーナがやってくるかも知れない」

 ルチーナ。
 その単語に、オリヴィエの脳裏に一瞬で、ルチーナの攻撃からアンリたちを庇った時の記憶が甦った。
 傷・・・そうだ・・・。自分は、怪我をして・・・。
 自覚をした、その途端、もの凄い激痛が、オリヴィエの腹部を襲う。
 喉の奥からなにかがこみ上げ、とっさにそれを吐き出した。

「オル!?」

 アンリの悲鳴じみた声。
 口の中には、鉄の味が余すことなく広がっている。
 どうやら、血を吐いたようだ。

「オル、大丈夫か!?」

 アンリがオリヴィエの顔を横に向け、血が逆流するのを防ぐ。
 噎せながら、オリヴィエはぼんやりと、だが冷静に、自分の体のことを観察した。
 はっきりしない視界。傷を負った箇所とその深さ。
 寒さはすでにピークに達していた。
 震える手で傷の辺りを押さえれば、そこからは未だに、血が流れ続けている。

(助からない、な・・・)

 オリヴィエが出した結論は、それだった。
 今から傷を塞いだとしても、もはやこれだけ大量に失った血液は取り戻せない。
 そして、そこまで大がかりな治癒の呪文を唱えるだけの力は、オリヴィエにはなかった。

(死ぬのか、俺は・・・)

 漠然と、それを意識したとき、目の前にいるアンリのことが浮かんだ。
 もし、その事実を彼女に告げたら、アンリはどうするだろうか?
 普通であれば、もう助からない仲間のことは見捨てて、一人だけでも逃げ延びるのが得策だ。
 しかし、アンリはそんなことをしないだろう。
 オリヴィエの意識がある限り・・・いや、きっと、意識がなくなったって、彼を助けるために無駄な努力を繰り返すのだろう。
 死ぬのは怖くなかった。
 竜族として生まれ、長い時間の流れを生きるオリヴィエにとって、死はただの終着地点でしかない。
 しかし、アンリが一緒に死ぬのだけは――どうしても、許せなかった。

「とりあえず、ここから離れるぞ」

 アンリがオリヴィエの両脇に腕を差し込む。
 そのまま引きずろうとするが、ほんの数センチ動いたところで止まってしまった。
 無理もない。
 人の形をしていてもオリヴィエは竜族であり、その質量はかなりのものがある。
 力自慢の大男だって、オリヴィエを運ぶのは至難の技だろう。

「〜〜〜〜っ!!」

 アンリの力が抜ける。
 それでも諦めず、もう一度挑戦しようとした、その時、

「ま、て・・・」

 オリヴィエから、掠れた声が上がった。
 一声上げるだけで、全身がひきつったような痛みを訴える。
 それを無視して、オリヴィエはなるべく呼吸を乱さないように、気をつけて喋りだした。

「先に、行け・・・。俺を、置いて・・・」
「バカ言うな!! こんな状態のお前置いて、アタシだけ逃げれるわけないだろう!!」

 想像通りのことを言うアンリに、オリヴィエは思わず苦笑してしまった。
 ダメだ。殺してはいけない。
 この真っ直ぐな生き物を。
 自分の生き方すら変えてしまった、この存在を。
 最後の力を振り絞り、オリヴィエは腕を上げる。
 その指先は、真っ直ぐ天を向いていた。

「行け・・・アンリ・・・。俺、も・・・後か、ら、行く・・・」
「だけど・・・」
「安心、しろ・・・。やくそ、くは、守る・・・」

 彼女は、光だ。
 きっとこれから先、多くの人々を助け、導くことになるだろう。
 光は、空に還えさなければならない。
 こんな地中に、埋もれさせてはならない。
 それが自分の、最後の役目だ。

「本当だな・・・?」

 オリヴィエは微かに頷いた。
 笑ってみせる余裕すらあった。
 それが決め手となったのかどうか分からないが、アンリがようやく立ち上がる気配を感じる。

「子供、は・・・?」
「先に逃がした。外に出たら、たぶん町まで帰れると思う」
「そう、か・・・」
「じゃあ、先に行くからな。絶対に後から来いよ!!」
「ああ・・・。絶対、に・・・」

 しばらく気配は、オリヴィエの側を名残惜しそうに留まっていたが、やがてふっきれたのか、足音を残して去っていく。
 ほうっと、オリヴィエの口から安堵のため息が漏れた。
 安心した途端、急激に意識が遠ざかる。
 死ぬのは怖くない。だけど、もう二度とアンリと共にいられないのかと思うと、それだけが心残りで。
 あの光を、もう少しだけ側で見守りたかったと思いながら、オリヴィエは静かに目を閉じた――。















「それからどうなったの?」

 膝の上に乗っかって、大きな目をキラキラ輝かせる孫娘を見ながら、アンリは少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「それっきり。結局、追いかけてはきてくれなかったわ」

 孫娘の瞳が、ショックで見開かれる。

「どうして? オルはやくそくやぶったの?」

 そう訊ねる孫娘に、アンリはどう答えようかと考える。
 まだ小さな彼女の頭を優しく撫でると、孫娘の父親とよく似た金色の髪が、アンリの指の間を滑り落ちた。

「約束を破った訳じゃないわ。ただ・・・ちょっと運が悪くて、出会えなかっただけよ」
「ふうん・・・」

 あまり納得していないような顔で、孫娘が呻く。
 彼女の反応に、アンリは苦笑した。

「ほら、お話はおしまい。お外で遊んでらっしゃい」
「はーい」

 アンリの膝から離れて、孫娘は玄関へと向かう。
 高い位置にあるドアノブを背伸びして回すと、外へと続くドアが開けられた。

「ねえ、おばあちゃん」

 そのまま外に出るかと思ったが、孫娘は立ち止まると、アンリの方を振り向いた。

「オルはきっと、おばあちゃんのこと見つけきれなかったのね。だったら、こんどはおばあちゃんがオルのこと、さがしてあげればいいのよ」
「ええ、そうね。ありがとう」

 アンリが微笑み返すと、孫娘は自分の働きに誇らしそうに笑うと、ぱたぱたと外へと駆けていった。
 締め忘れたドアから、暖かな風が流れ込んでくる。
 色々な国に行った。色々な人に出会った。
 恋をして、結婚をして、娘とたくさんの孫たちにも恵まれた。

「オル、分かる? 全部、あたなのお陰なのよ?」

 今でもはっきりと思い出すことが出来る。
 ぶっきらぼうで、無愛想で、実は優しい竜族の青年を。
 追ってこないオリヴィエがどうなったのか、知りたくなくて、結局一度もサイラーグに行けなかったのが、今までずっと心残りだった。

「だけど、それももう終わりね」

 アンリは深く椅子に腰掛ける。
 庭で花が咲いているのだろう。甘い香りが、ふわりと部屋に流れ込んできた。
 アンリはそれを、胸一杯吸い込む。

「アタシが直接、オルに会いに行くから・・・」

 会ったら、オルになにを話そうか?
 まずは怒って、それから謝って、ありがとうもいいたい。オルがいなくなってから、どこに行って、なにがあったのかも・・・。
 話したいことはたくさんあるけれど、大丈夫。時間はこれから、たくさんある。
 アンリは静かに目を閉じた。
 その寝顔は安らかで、満足そうに微笑んでいた――。







 人々は知らない。光の剣の勇者が、女であったことを。
 人々は知らない。彼女の傍らにいた、竜族の青年のことを。
 事実は歴史の流れに埋もれていく。
 全てを知る人たちは、今はもう、遠い彼方に・・・。

091124