決死の逃走劇

「!?」

 アンリに囃したてられながら、人々の手伝いをしていたオリヴィエが、突然弾かれたように顔を上げた。
 応援旗よろしく、ぴこぴことエノコロモグサを振っていたアンリが、不思議そうに首を傾げる。

「オル? どうしたんだよ?」

 オリヴィエに倣い、アンリも空を見上げた。
 快晴。雲一つないとは、まさに今日のような空を言うのだろう。
 作業をするには少々辛いが、曇り空で気分も滅入りながらするよりは、ずっといい。

「なにもないぞ?」

 そう言って、再び視線を戻そうとしたアンリだったが、それより早く、空に浮かぶ黒い点を見つけた。

「? なんだ?」

 訝しんで目を凝らすうちにも、その黒い点はみるみる大きくなっていく。
 初めはは鳥くらいの大きさだったのに、あっという間に家ほどの大きさにまで成長する。
 陽光を受け、キラキラとそれは、文字通り光り輝いていた。

「黄金竜?」
「ルチーナ・・・!!」

 アンリの声と、オリヴィエの叫び声はほぼ一緒だった。
 すでにその時には、誰もが空を舞う異形のものに気付き、作業の手を休めてポカンと空を見上げている。
 咄嗟に、オリヴィエは辺りを見渡し、叫んだ。

「全員逃げろ!!」

 黄金竜は、ますます大きくなっていく。
 翼によって巻き起こる風が地面を打ち、乱気流を巻き起こしていた。
 オリヴィエの声に反応した訳ではないだろうが、様子がおかしいと感じた人々が、悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。

「あいつ、なにを・・・」
「お前も逃げろ!! 早く!!」

 ゴオッと、巻き上がった砂煙がアンリの視界を塞ぐ。
 息を止め、どうにかそれをやりすごしたアンリが目を開けば、目の前にはいつか見た女の黄金竜が、人の姿で立っていた。
 ルチーナだ――。
 相変わらず、息を呑むような美女だったが、なにか様子が違う。
 アンリは、ルチーナが真っ直ぐ自分を見据えていることに気付き、背筋をぞくりとしたものが走るのを感じた。
 これは、殺気・・・?
 ルチーナの視線から隠すように、オリヴィエがその前に立った。

「なにをしにきた、ルチーナ」

 声が固い。
 ルチーナが殺気を纏っていることに、オリヴィエも気付いている。
 ルチーナの視線が、オリヴィエに向いた。

「決まっているでしょう。竜族としての使命を、果たしに来たのよ」

 瞬間、光が瞬いた。
 アンリの腕が、オリヴィエによって強く引かれる。

「!?」

 ッドォォォォォン!!!!

 アンリとオリヴィエが地面に倒れるのと、激しい爆発音が響いたのは、ほぼ同時だった。
 爆風が吹き荒れる。
 暴れる髪を抑えつけ、アンリは顔を上げた。
 ようやく建て直された建物が、幾つも吹き飛ばされているのを見て、アンリは思わず息を呑んだ。

「あんた、なにを・・・!?」

 体を起こしながら叫びかけたアンリの腕を、再びオリヴィエが引っ張った。
 予想外のことにつんのめり、そのままバランスを崩して、アンリはオリヴィエと向き直る。

「なにするんだよ、オル!! あいつが・・・」
「逃げるぞ」

 アンリの台詞を無視して、オリヴィエは短くそう言った。

「なんで・・・」
「ここにいたら、更に被害が広がる」

 オリヴィエの台詞に、アンリはハッとして口を閉じる。
 黙り、大人しくなったアンリを連れて、オリヴィエは走り出した。

「なあ、なんであいつ、こんなことするんだよ!!」

 走りながら、質問をぶつけるアンリに、オリヴィエは返事もせずに走り続ける。
 肩越しに振り向くと、ルチーナが冷たい視線で二人の行方を追っているのが確認出来た。
 まさか、ルチーナがこんな暴挙にでるなんて・・・。
 予想できたことではあったが、それでも頭のどこかで、そこまではしないと思っていた部分もあり、自分の甘さにオリヴィエは唇を噛み締める。
 あの時、ルチーナがきた時点で手を打っていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに・・・。

 ヒュンッ

 空気が震える。
 同時に、オリヴィエが唱えていた術を発動させた。

 バシッ

 二人に向けて、一直線に走っていた光の閃が、音を立てて掻き消える。
 時間は稼いだ。しかし、付け焼刃だ。
 飛んで逃げれば早いだろうが、アンリを連れていたのでは、簡単に追いつかれてしまう。
 街の形を取り戻してきたとはいえ、サイラーグのほとんどは、まだ荒地だ。
 少し走れば、魔獣との死闘の後は、簡単に顔を覗かせる。
 特に、神聖樹の辺りは、木の生長速度が速すぎると言う理由から、ほとんどが手付かずだった。
 あそこならば、人を巻き込む心配はない。
 アンリも悟ったのだろう。
 目前に聳える神聖樹を目指し、黙って後を付いて走る。

 ゴウッ

 その時、頭上を風が渦巻く。
 思わず足を止め見上げれば、巨大な黄金竜が翼を広げ通り過ぎるところだった。
 黄金竜は二人の前方に舞い降りると、人の姿を形どる。

「ルチーナ・・・」
「逃げるなんて、落ちぶれたものね」

 殺意の籠った瞳が、オリヴィエを捉える。
 ちらりと、オリヴィエはその後ろにある神聖樹に目を向けた。
 距離にして、100mもないだろう。
 走れば、いけないことはない、か・・・。

「おい、あんた!! いい加減にしろよ!! アタシたちが気に食わないからって、街の人まで巻き込むなよな!!」

 威勢良く叫ぶアンリに、ルチーナは忌々しげに眉を跳ね上げた。

「自意識過剰ね。私が気に入らないのは、人間全てよ。この街がどうなろうと、知ったことじゃないわ」
「なっ・・・」
「待て。落ち着け」

 なおも言い募ろうとするアンリを、オリヴィエが遮る。
 アンリは不満そうにオリヴィエを見た。

「なんだよ!! だってあいつが・・・」
「黙って聞け。今からオレが時間を稼ぐ。その間に、神聖樹まで走れ」
「はあ!? あそこに行ってどうするんだよ!! あんな、なにもないところに・・・」
「神聖樹には、中に大きな空洞がある」

 その言葉に、アンリは目を丸くする。
 知らないはずだ。恐らく、まだ誰も気付いていないことだろう。
 オリヴィエも、成長具合を確かめるため、何度か神聖樹の元に通っていて気付いたのだ。

「中は複雑に入り組んでいるから、一度逃げ込めば、おそらくルチーナの目も誤魔化される。これだけ大きいものだと、竜族ですら吹き飛ばすような真似は不可能だ。その後は、東の森にでも逃げ込め。洞窟を通れば、たいした距離でもない」
「でも・・・そんなのダメだ!! 兄妹で戦うなんて、アタシは許さない!!」

 真っ直ぐ見詰めて、そう言いきるアンリの眼差しに、オリヴィエは目を細める。
 同じ生きているモノのはずなのに、どうして人は、こんなにも正面から、困難をどうにかしようとするのだろう。
 その姿が、滑稽で愚かだと思っていた時もあった。
 だが、今は違う。
 長い時を漠然と生きていた自分にはない、その眩しさに、憧憬にも似た感情が湧きあがる。
 オリヴィエは手を伸ばして、アンリの髪に触れた。
 少し硬めの髪が、彼の指の間をすり抜ける。
 突然のオリヴィエの行動に、アンリは目を丸くしていた。

「分かった。戦わないように努力しよう。その代わり、必ず逃げ切れ。お前がいると、あいつと話すこともできなくなる」

 しばらく呆然としていたアンリだったが、やがて意を決したように頷く。

「いい加減にして・・・」

 ルチーナの声が、静かに響いた。

「オリヴィエ・・・あなたは変わったわ・・・。以前のあなたは、そんな人間と、慣れ合うことなんてしなかったのに・・・」

 淡々と語るルチーナだが、それが逆に得体の知れなさを感じさせる。
 アンリは思わず後ずさった。

「確かに、オレは以前とは変わったかも知れない。だけど、それは見方を改めただけだ。人間だって、オレたちが思っていたほど、愚かな生き物ではない」

 ふっと、ルチーナが微笑む。
 その場にはそぐわないほどの慈愛に満ちた笑みに、一瞬、時間が止まったような気がした。

「ダメよ、オリヴィエ。あなたがそんなことを言うなんて・・・。それじゃあ、私は・・・あなたを殺さないといけなくなる――!!」
「!?」

 光の奔流が、オリヴィエを包み込む。

「オル!?」

 アンリの悲鳴じみた叫び声すら、かき消されるほどの轟音が響き渡った。
 間一髪、展開された結果が、光の奔流を遮る。

「走れ!!」

 オリヴィエの言葉に、アンリはハッと我に返り、慌てて走り出した。
 ルチーナの視線が、アンリを捉え、

「ゼラス・ファンクス!!」

 そのルチーナに、オリヴィエの放った幾筋もの光球が襲いかかる。
 咄嗟に、結果を張るルチーナの横を、アンリはすり抜けた。
 後少しだ。アンリが神聖樹に逃げ込めば――。
 そう思い、神聖樹に視線を向けたオリヴィエは、

「!?」

 思わず、目を丸くした。
 神聖樹のすぐ近くに、子供の姿を見つけたのである。
 子供は、突然目の前で繰り広げられた呪文の応戦に呆気に取られ、ぼーっとその光景を眺めていた。

「なぜ・・・!?」

 アンリも、子供に気付く。
 放っておけば巻き添えになると思ったのだろう。
 進路を変え、子供の元へと駆け寄った。

「なにしてるんだ!! 逃げろ!!」

 アンリの声が、オリヴィエの耳にも届く。
 それでも動かない子供を、アンリは抱え上げると、神聖樹へと走った。

「忌々しい!!」

 ルチーナの一声で、光球が一掃される。
 彼女は振り向き、そこにまだアンリの姿が見えていることに気付くと呪文を唱え、

「ヴラバザード・フレア!!」

 アンリが顔を向けた。
 光の筋が、一直線に二人の元へと走る。
 アンリは剣の柄に手をかけるが、すでに光は目の前と迫ってきている。

(間に合わない――)

 一瞬、死を覚悟した。
 やけにゆっくり向かってくる光の筋を、目で追っていた、その時。
 アンリの視界の端で、淡い金色の髪が揺れる。
 ドンッと、体が突き飛ばされた。
 バランスを崩しながら、それでもアンリは目を見開いて確かに見る。
 自分を突き飛ばした者の顔を。
 彼が、ホッとしたように顔を緩ませた、その直後、アンリを貫くはずだった光の筋に体を貫かれる。

「オル!!」

 ッドォォォォン!!

 激しい爆発が巻き起こった。
 土煙で視界が遮られる。
 ルチーナは視界が晴れるまで、その場にジッとしていた。
 やがて、微かに吹いていた風により、立ち上った土煙はどこかへと流れていく。
 その後に、誰もいないことを確認したルチーナは、

「ちっ・・・」

 小さく、舌打ちをした。

091030