凶兆を告げる者

「妹!?」

 アンリの声は周囲の喧騒に阻まれて、人々は何事もなかったかのように作業を進めている。
 唯一聞いていたオリヴィエは、違うと、短く否定の言葉を口にした。

「人間の感覚と一緒にするな。我々竜族に、そう言った概念は・・・」
「妹なんだろ?」

 強調して確認するアンリに、オリヴィエはため息をつく。
 こうなっては、こちらの言い分など、端から聞く気などないのだろう。

「同じ女から生まれたものを兄弟と呼ぶなら、ルチーナはそう言ったものになるな」
「なんだよ。妹だったんなら、もっと愛想よくしてやれよな」

 まったく人の話を聞いていないアンリに、オリヴィエは本日二回目のため息をついた。

 アンリとオリヴィエは、現在、領主の館を作る作業の手伝いをしている。
 本来ならばもっと早くに取り掛かるものなのだろうが、当の本人が、まずは人々の住む場所が最優先だと言ったので、今まで手付かずだったのだ。
 街もだいぶ形を成してきて、住む場所も粗方揃ってきたので、ようやく着工するに至ったのである。
 当初アンリは、細腕のオリヴィエに力仕事は無理だと思っていた。
 ところが、アンリの予想を裏切り、オリヴィエは大の男が三人がかりで運ぶような木材も、一人で黙々と運んで行く。
 よく考えれば、見かけがどれほど優男とは言え、正体は黄金竜なのだ。
 人と比べるのは、最初から間違いだったのだろう。

 運んでいた木材を言われた場所に下ろし、オリヴィエは振り返った。
 アンリは必要な大工道具を抱えたまま、きょとんと目を瞬かせる。

「さっきも言ったが、我々竜族に兄弟や家族と言った概念はない。どこの誰から生まれようと、誕生した時点でその子供は全ての竜族の仲間となる。だから、あいつが他の竜族と比べて、特別な存在であると言うこともない」
「冷たいこと言うなよ。せっかくの兄妹なのに。あっ、分かった。恥ずかしがってんだろ」

 どうしたら、こうも斜め上の発想になるのだろうと、オリヴィエは少し真剣に考えた。
 尤も、考えたところで答えが出る訳でも、ましてや理解が出来る訳もないのだが。
 オリヴィエがなにも反論しないのをいいことに、アンリは快活に笑うと持っていた大工道具を木材の上に置いた。

「まあ、次来たら、兄妹水入らずで話でもしろよ。いいもんだぞ、兄弟って」

 そう言って、目を細めるアンリの表情を見て、オリヴィエは思わず言葉に詰まる。

 アタシにはなにも残らなかった――。

 もしかしたら、彼女にも弟や妹がいたのかも知れない。
 そして、オリヴィエとルチーナの間に、懐かしかった時代を重ねているのかも知れない。
 そう考えると、これ以上反発しようがなくて、オリヴィエは代わりにため息をつく。
 しかし、オリヴィエは出来れば、もう二度とルチーナが来ないようにと、願わずにはいられなかった。
 ルチーナは人間に、異常なほどの嫌悪感を抱いている。
 少し前まではオリヴィエも似たような状態だったため、それがおかしいと思ったことはないが、こうして人間と一緒に生活をしてると、その考えがどれほどおかしいものだったのかが、ようやく理解できた。
 オリヴィエは変われた。しかし、ルチーナは・・・。

「どうしたんだよ、オル?」

 オリヴィエの前に、突如アンリの顔が映り込む。
 無遠慮に伸びた人差し指が、オリヴィエの眉間をぐいぐいと押す。

「・・・・・・なにをしている?」
「皺が寄ってるから、取ってやろうと思って」

 無言で、オリヴィエはアンリの手を払い落した。
 人のせっかくの親切を・・・などと愚痴っているのを聞いて、ついつい苦笑してしまう。
 そうだ、このまま順調にいけばいい。
 なにも起こらず、ずっとずっと、このままでいられたら・・・。
 祈るような気持ちで、オリヴィエは空を仰いだ。



     *



 ルチーナにとって人間とは、侮蔑すべき対象だった。
 浅ましく、卑怯で、弱い。
 もちろん、ルチーナがそんな考えに至るほど、人間と深い関わりを持っていたわけではない。
 全ては周囲の竜たちやエルフたちから、聞き及んだ情報でしかない。
 しかし、ルチーナにとってはそれで十分だった。
 今から900年ほど前に起きた起こった降魔戦争も、元をただせば人間が、いらぬ争いばかりしていたのが原因ではないのか?
 その戦争がどんなものだったかも、ルチーナは知らなかった。
 なにせ、彼女が生まれる前の話である。
 しかし、その悲惨さと、たった一匹の魔族によって壊滅にまで追い込まれた無念さは、幼い頃から年配の竜たちによって、ずっと聞かされて育ってきたのだ。

 人がもう少し賢ければ――。

 彼等は皆そう言う。
 唯一、長であるミルガズィアだけが、魔族の企みに気付かなかった我々にも非があるのだと言って人間を庇うが、それすらも、ルチーナには人の愚かさを強調しているようにしか見えなかった。

「オリヴィエも、そうだったんじゃないの・・・?」

 同じ竜から生まれた、たった一人の同胞。
 降魔戦争の後、激減した個体数を補うためか、普通ならば女竜一体に付き一体しか生まれない黄金竜の子供が、一度に何体も生まれることがよくあった。
 ルチーナとオリヴィエもそうである。
 オリヴィエは、同じ竜から生まれたからと言って、それが特別なこととは思っていないようだが、ルチーナは違った。
 確かに、彼女たちの回りを見てもそう珍しいことではなかったが、ルチーナの中でオリヴィエは、自分の分身とも呼べる存在だった。
 そう、同じだったのだ。ルチーナも。オリヴィエも。
 オリヴィエだって人を忌避し、疎ましく思っていた。
 思っていたはずなのに、どうしてあんな、人間と慣れ合うところまで落ちてしまったのだろう?

「・・・・・・っ」

 ルチーナはギュッと唇を噛み締めた。
 あんな堕落したオリヴィエを見るのは、どうにも我慢がならない。

 ――人は愚かだが、そうでないものもいる。

 嘘だ。ならばどうして、人はあんなに傲慢でいられる?

 ――あいつを信じるつもりで、待ってやらないか?

「・・・そんなことは、出来ない」

 ルチーナはポツリと呟いた。
 もしこれを許容したら、図に乗った人間が、また浅ましくこの地に訪れるかも知れない。
 不安の芽は摘んでおく必要がある。
 ルチーナは立ち上がった。
 強い風が、ドラゴンズ・ピークに吹き荒ぶ。

 人に傾倒した竜族など、もはや同胞でも何もない――。

 その思いに突き動かされるように、ルチーナは大空に羽ばたく。
 金色の大きな影は、すぐに蒼い空に紛れて、見えなくなった。



     *



 その時少年は、神聖樹の近くにいた。
 まだ幼い彼は、近所の子供たちと一緒に遊ぼうと思っても、足手まといだと言って、置いて行かれるのが常だったのだ。
 暇を持て余した少年は、ふと、あの大きな木に興味を抱き、頑張ってその付近にまでやって来たのである。
 見上げても先が見えないほど成長した神聖樹。
 もはやそれは、樹齢何年かすら、きっと誰にも見当が付かない。
 なにせこんなに大きな木は、他に見当たらないのだから、比べようがないのだ。
 少年の住んでいる家よりも、何十倍も大きな木を見上げて、少年は声にならない感嘆のため息をつく。
 と、その時だ。
 彼の視界に、小さな黒い点が映り込んだのは。
 初めは鳥かと思った。
 それにしてはどんどん大きくなる影に、少年が首を傾げていると、影は鳥と言うには大きすぎるまでに成長する。

「わぁ・・・」

 鳥ではなかった。黄金竜だ。
 初めて見るその異質なる生き物に、少年は瞳を輝かせて見惚れる。
 そんな少年の熱心な眼差し気付いた様子もなく、黄金竜――ルチーナは、復興途中のサイラーグへと降り立った。

090811