伝説の始まり

「っ、はぁ・・・」

 険しい山道が、傷ついた体に堪える。
 足は今にも倒れそうなほどに縺れ、肺は酷使しすぎてもう満足に動かない。
 それでも、女は止まらなかった。
 歯を食いしばり、前を睨み付け、限界を訴える自身の体のことも顧みず、ただひたすら山道を駆け抜ける。
 目的地を――ドラゴンズ・ピークを目指して・・・。



     *



 彼――オリヴィエがその人間を見つけたのは、偶然だった。
 たまに一人になりたい癖のある彼は、その日も特にアテもなく、ドラゴンズ・ピークの頂きを旋回していた。
 この山にも、いよいよ春が来る。
 麓には花が咲き乱れている様を、彼はなんの感慨もなく眺めていた。
 と、その時。およそ生き物などほとんど見かけない山道で、なにか動くものを見つけたのだ。

「?」

 訝しげに、オリヴィエはそこを注視した。
 そしてそれが、まだ若い人間の女であることに気付くと、憂鬱なため息を零す。
 普段人間は、ドラゴンズ・ピークになど、滅多に足を踏み入れない。
 彼ら竜族を、恐れ敬っているからだ。
 しかし時折、隠されたオリハルコンの山脈や、根も葉もない竜族の財宝を狙ってやってくる輩もいる。
 おそらくあの女も、そう言った類の連中に違いない。
 人と関わるのは面倒だったが、見つけてしまった手前、放っておくことも出来なかった。
 オリヴィエは大きく方向転換をすると、風を切り、女の前へと降り立つ。

「うわっ!!」

 風圧に押され、女の足が止まった。
 高く結わえた茶色の髪が、大きく靡く。

『去れ、人間よ。ここは、お前の来る場所ではない』

 ドラゴンの姿のまま、オリヴィエは女に語りかけた。
 大概の人間は、こうして姿を現わせば、そのまま逃げ帰る。
 この女だってそうだろうと、オリヴィエは考えていた。

 しかし、違った。

 オリヴィエが語りかけると、女は弾かれたように顔を上げた。
 目の前にドラゴンがいることが信じられないと言わんばかりの顔付きで、呆然とオリヴィエのことを見上げている。

「黄金・・・竜・・・?」

 その時になって、オリヴィエは女がボロボロであることに気が付いた。
 いくら険しい山道とは言え、こんな様になるような道ではない。
 訝しがっていると、突然、女がオリヴィエに駆け寄って来た。

「助けてくれ!! お願いだ!! あんたたちはすごいんだろ!?」

 必死な様子の女に、オリヴィエは思わずたじろいだ。
 そんなことなどおかまいなしに、女は鬼気迫る勢いで縋りついてくる。

「あの街を助けてくれ!!」



     *



「長老」

 呼ばれて、ミルガズィアは振り返った。
 肩ほどまで伸びた癖のある金色の髪に、中年をやや過ぎた感のある渋みのある顔。
 人と何ら変わらない外貌をしているが、彼が竜族であることは紛れもない事実である。

「どうした、オリヴィエ」

 ミルガズィアを呼んだのは、20歳を超えた風貌の青年に姿を変えた、オリヴィエだった。
 淡いブロンドの髪が風に靡く。
 竜族はある程度年を重ねれば、こうして人の姿を取ることなど、造作もなく行うことが出来る。
 普段はあえて変身をすることもないのだが、ドラゴンズ・ピークから外に出る時は、こう言う格好を取ることが多かった。
 例えば、今日のようにエルフの里を訪れている時など、だ。

「こんなところにくるとは、珍しいな」

 出無精な青年をからかうように、ミルガズィアは目を細める。
 しかしオリヴィエは、それに気を悪くした風も、ましてや冗談を返そうともせず、感情のこもらない声で淡々と言葉を紡ぎ出した。

「人間が来ている」
「なに?」

 簡潔明瞭なその台詞に、ミルガズィアは眉を顰めた。
 稀に、人間がドラゴンズ・ピークを訪れることはある。
 しかし、そのことが長老である彼の耳に入ることは、ほとんどないと言っても良かった。
 珍しい報告に、ミルガズィアは訝しげに口を開く。

「何者だ、それは」
「分からない。いつものように、追い払おうとしたんだが、逆に喰ってかかられた。なにか、助けて欲しいと叫んでいた」
「ふむ・・・」

 追い返すのは、さして難しい話でもない。
 だが、なんとはなしに気になるものがあり、ミルガズィアはしばらく考えた後、顔を上げた。

「分かった。話を聞こう。その人間はどこにいる?」
「ここに」

 オリヴィエが連れて行ったのは、エルフの里の入り口だった。
 何人かのエルフが、用心深そうに見守っている先に、さっきの女が無防備な状態で横たわっている。
 かろうじて息はしているものの、それもほとんど虫の息で、今にも事切れてしまいそうだった。

「ずいぶん衰弱しているな」
「ここに来る途中で気を失ってしまった」
「オリヴィエ、手当てをしてやれ」

 ミルガズィアに促され、オリヴィエは女の傍らに屈みこんだ。
 空気を振動させ、普通の人間には聞き取れない呪文を発すると、オリヴィエの掌に青白い光が灯った。
 みるみるうちに塞がれていく傷を見ながら、オリヴィエは女の様子を観察する。
 傷だらけになりながら、噛みつかんばかりの勢いで、オリヴィエに助けを求めた女の姿が思い出された。
 なにをそんなに必死になっていたのだろう。
 素朴な疑問を漠然と考えていると、ふいに、女が目を覚ます。
 それは、新緑のような、澄んだ緑色の瞳だった。
 女は不思議そうに目を瞬かせると、ゆっくりと辺りを見渡す。

「気が付いたか?」

 声を掛けたのはミルガズィアだった。
 女は彼の方に顔を向け、状況が理解できずに眉間に皺を刻む。

「我らに助けを求めたらしいな」
「我ら・・・って・・・」

 ようやく、女は気付いたらしい。
 目を見開き、飛び起きる彼女に、ミルガズィアは大きく頷いて見せた。

「こんな姿をしているが、黄金竜だ」
「っ、助けてくれ!! 街が・・・サイラーグが滅ぼされる!!」
「サイラーグが?」

 人と関わりのない竜族でも、その都市の名は聞いたことがあった。
 魔道都市とも呼ばれ、かなり大きく栄えている街のはずだ。

「滅ぼされるとは、誰にだ?」
「魔獣だ・・・」
「魔獣?」
「竜みたいに大きくて、剣も魔法もきかないんだ。誰かが、ザナッファーって呼んでた。なにかの実験の暴走だって・・・」
「ザナッファー?」

 ミルガズィアの雰囲気がわずかに変わる。
 それに気付かないまま、女は喋り続けた。

「アタシたちじゃあ、もうどうしようも出来ないんだ!! あんたたちに助けてもらわないと、サイラーグだけじゃない。他の町にも被害が出る!!」
「・・・悪いが、人間のことに関わるつもりはない。自分たちでどうにかするんだな」

 口を挟んだのは、オリヴィエだった。
 あまりに淡々とした口調に、一瞬女は何を言われたのか分かっていなかったようだが、次第にその顔が怒りで真っ赤に染まる。

「はあ!? なに言ってんだよ、お前!! 見殺しにするって言うのか!? どんだけ薄情なんだよ!!」
「お前たちの実験の暴走だろ? 自分で巻いた災厄くらい、自分たちでどうにかしろ」
「・・・・・・っ」
「やめろ、オリヴィエ」

 激高した女がなにかを言うより早く、ミルガズィアの叱責の声が飛んだ。
 何事もなかったかのように、オリヴィエは口を閉ざす。
 怒りを向ける矛先を失くした女も、仕方なく口を噤んだ。

「事情は分かった。しかし、我らは動けない」
「なんで・・・!?」
「我らが派手に動いては、魔族に付け入る隙を与えてしまう。その任を、放棄するわけにはいかない」
「でも・・・」
「まあ待て。変わりに、武器を貸し与えよう」
「武器を?」

 女は不審な眼差しをミルガズィアに向けた。

「さっきも言っただろ? あのザナッファーって魔獣は、剣も魔法もきかないって・・・」
「普通の武器ではない。付いて来い」

 言って、踵を返し、ミルガズィアが歩き出した。
 女は少し躊躇った後、腹を括ってミルガズィアの後を付いていく。

「長老」

 追いついたオリヴィエが隣に並び、声を潜めて話し掛けた。

「人間に武器を貸すなど・・・」
「心配か?」

 ミルガズィアの問い掛けに、オリヴィエは無言で肯定の意を示す。

「あの人間の言った『ザナッファー』だが、もしや、我らが開発している『ゼナファ』が暴走したものかも知れん」
「『ゼナファ』が?」

 ゼナファとは、現在竜族とエルフが共同で開発している、対魔族用の武器の一つだった。
 精神世界面への干渉をある程度コントロールし、装着者の意思によって自在に変形できる、半生命体甲冑である。

「なぜそんなものを人間が?」
「元々『ゼナファ』だって、異界黙示録からの知識を元に作られたものだ。人間が、どこかでその製造方法を知ったとしても、不思議ではない」
「・・・・・・」
「『ゼナファ』はまだ開発途中だ。この騒ぎで、魔族に『ゼナファ』の存在を気取られる訳にはいかん」

 ミルガズィアが案内したのは、エルフの里から少し離れたところにある小屋だった。
 もう長いことそこにあるのか、小屋の周囲は蔦で覆われている。
 ミルガズィアは中に入ると、一番奥から一振りの剣を携えて戻って来た。

「これは・・・?」
「烈光の剣と言う。元々は、異界の魔王の使う武器の一つだ」
「異界の魔王?」

 聞いたことのない単語だったが、魔王の言葉に、女は警戒の色を示す。

「大丈夫なのか、それ?」
「問題ない。幾重にも結界を施してある。これならば、人間のお前にも使えるはずだ」
「ふぅん・・・」

 よく分からなかったが、とりあえず、安全であると言うことは理解したらしい。
 女はそっと剣を手に取った。
 鞘から、柄を引き抜き、

「・・・・・・ちょっと」

 ジト目で、ミルガズィアを睨み付ける。

「刃が付いてないんだけど、これ」
「必要ない」
「必要ないって・・・」
「この先に、刃が付いているとイメージしろ」
「はあ?」
「そして『光よ』と叫べばいい。後は、烈光の剣が応えてくれる」
「??」

 ミルガズィアの説明に、女は疑問符を飛ばすばかりだ。

「それより、急ぐのだろう。オリヴィエ、この人間を、サイラーグまで送ってやれ」
「!? 長老!!」

 慌てたのはオリヴィエだ。
 彼はなにか言いたげに口を開くが、それよりも、ミルガズィアの方が早かった。

「他に頼める者もいない。ことが済んだら、烈光の剣を回収して戻ってくるのだ。やってくれるな?」
「・・・・・・はい」

 オリヴィエは渋々頷いた。
 そんな風に聞かれて、嫌だと言える者などいるはずもない。
 まだ若干不満そうだったが、オリヴィエは女の前に立ちはだかる。

「行くぞ女。さっさとしろ」
「なんだよ、さっきから女って言ったり、人間って呼んだり。アタシには『アンリ』って名前があるんだからな!!」
「知らん。覚える気もない」
「テメエ!! なんでそんな偉そうなんだよ!!」

 叫ぶ女――もとい、アンリは無視して、オリヴィエは変身を解く。
 アンリより少し背が高いだけだった青年は、一瞬にして大木ほどはありそうな、竜の姿に変化した。

『乗れ。行くぞ』

 アンリが乗ったことを確認すると、オリヴィエは翼をはためかせ、大空へと飛び上がった。
 上空からは、彼が生まれ育ったドラゴンズ・ピークが一望できる。
 またすぐに戻ってくるだろうと思いながら、オリヴィエはサイラーグへと進路を向けた。
 まさかこれが、彼が故郷を望む最後になろうとは、思いもせずに・・・。

090624